暗闇ボクシング経営者は20代 起業家、塚田姉妹の素顔
国内外に12店舗の暗闇ボクシングジムを運営するb-monster(東京・港)。25歳の塚田美樹代表、妹で24歳の眞琴取締役が経営する同社は、創業4年にして急成長を遂げています。ニューヨーク旅行をきっかけに起業を決意したという2人のキャリアと、今後の目標を聞きました。
「無口だった幼少期」 「将来に不安を覚え留学を決意」
――姉妹で経営をされています。お二人はもともと、起業家マインドにあふれていた?
美樹さん(以下、敬称略) いいえ、幼稚園から高校まではずっと女子校に通っていたのですが、幼少期は無口な子でした。人と関わるのが苦手で、誰の感情も動かしたくないと思っていました(笑)。
ですが、大学に入ってから変わりましたね。聖心女子大学の文学部哲学科に入学し、ヨットサークルに入りました。とにかく大学が楽しくて、大学在学中に起業に興味を持つようになりました。
大学1年のときは、ちょっとしたおしゃれ着のレンタルサービスを思い付き、Facebook上で友人同士が服を借りられるビジネスを始めました。その後も、全国の旅行者とアマチュアのカメラマンをマッチングさせるサービスを作るなど、新しいビジネスを生み出すことに興味を持ちました。その仲介手数料として1件決まったら500円手元に入るように設定していたのですが、「これをビジネスにするのは厳しい……」と考え、やめてしまいました。
――大学時代からいろんなビジネスを思い付いていた。眞琴さんはいかがですか?
眞琴さん(以下、敬称略) 私も姉と同じで幼稚園から高校まで、ずっと女子校育ちでした。ただ、環境によって性格が変わる子でしたね。幼少期は天真爛漫(らんまん)で、知らない人にも「遊んでください!」と声を掛けてしまうようなタイプ。ですが、小学5年生の頃からは、人の目を気にしながら生きていくようになりました。
高校生になって、「このままではいけない」と思ったことがあったんです。「毎日高校へ通い、大学に入って、会社に就職して……」。そんな自分の将来が見えてしまったときに、「今日は学校に行かない」という選択をしないとそこで自分の将来が決まってしまうという、漠然とした不安を覚えました。
あのときは学校に向かう途中だったにもかかわらず、いてもたってもいられなくなり、当時留学をしていた友人に連絡をして留学代理店を紹介してもらい、その足で代理店へ行きました。そして、代理店の担当者の人と話をして、「3カ月後にはイギリスへ留学に行きたい」と両親に話しました。親も海外に出てほしかったみたいで、とても喜んでいましたね。
起業のきっかけはNY旅行、構想から3カ月でジムをオープン
――ニューヨークでの旅行が起業につながったと伺いましたが、ボクシングジムを始めようと思った経緯を教えてください。
美樹 私たちの家庭では、毎年お正月にその1年の抱負を発表するんですが、私も眞琴も「ボクシングジムで5kg痩せる」という目標を掲げていました。それで、近所のボクシングジムへ行ったのですが、全然楽しいと思わなかったんです。当時は、少しずつボクシングジムがダイエットの手段としてはやり始めていたのですが、男性向けのボクシングジムが「女性歓迎!」とうたっている感じで、女性のニーズにまだジムが追い付いていないと感じたんです。
2016年の2月にニューヨークへ眞琴と二人で旅行に行ったのですが、現地にいる友人に何気なく「近所のボクシングジムへ行ったがあまり楽しくなかった」と話したんです。すると、その友人が「ニューヨークには暗闇ボクシングジムがあるよ」と教えてくれて、二人で実際にジムへ行ってみました。
二人で実際に暗闇ボクシングを体験したら、すごく楽しくて。ジムが終わった後には、「これを日本で作ろう」と決めていましたね。
――すごい! その後はどのようなスピード感でジムの運営が始まったのですか?
眞琴 2016年2月の旅行の後、3月には会社を設立していました。そして、ホームページの作成やパフォーマーの採用、物件探し、内装作りなど、いろんなことを進めて、6月には銀座に1号店をオープンしました。私は当時大学2年生だったのですが、起業するため3年生に上がるタイミングで大学をやめました。
美樹 正直、当時は記憶がないくらい忙しかったですね。初めてのことだらけで、毎晩泣いていました。でも、父から「ビジネスは泣きながらやるものではない」と言われ、必死で乗り越えました。
当時は、泣くことに対して悪いイメージはなかったのですが、今は自分も楽しく経営できないと意味がないなと思っています。
影響を受けた父の言葉
――ご両親も経営者であることが大きく影響していると思いますが、心に響いている言葉やアドバイスはありますか?
眞琴 小学生のとき、父がコールセンターを始めるため、電話回線を導入したことがありました。でも、その1週間後くらいに電話回線が200万円ほど安くなったんです。それに対して私は「(後から導入したら安く済んだのに)残念だね」と言ったのですが、父は「全然残念ではないよ。いつか安くなると思って待っていてはダメ。1週間でも早く導入したことに意味があるんだよ」と言ったんです。
当時はあまり理解できていませんでしたが、今はその1週間に200万円の価値があると思っています。スピード感は本当に大切ですし、「今後どうなるかな……」と考える前に行動するスタイルは、私たちの経営理念にも通じるところはあると思います。
美樹 私も父の言葉に影響を受けていますね。ある時、父が会社の忘年会で社員に対して、「世界が滅亡しそうになっても、ノアの箱舟みたいな大きな船でみんなのことを助けに行くからね」と言っていたんです。言葉だけ見るときれいごとに見えるかもしれませんが、そのときの父の目がとてもキラキラしていて、「心からそう思っているんだろうな」と感じました。私も、社員に対してそういう気持ちで接したいと思いましたし、経営者としての在り方はとても勉強になりました。
「人の人生に関われること」が1番のやりがい
――今は、どのようなときにやりがいを感じますか?
眞琴 b-monsterの名前の由来はいろいろあり、「Be the monster」(想像を超えた存在になる)という意味もその1つなのですが、会社もお客様も、本当に「想像を超えて」成長していっているなという実感はあります。
例えば、「b-monsterのおかげで15kg痩せて、今度フルマラソンに出ようと思います」というお客さんがいたり、社員の中にも「美樹さんや眞琴さんに影響を受けて今度、起業をしたいと思います」と言ってくれる人がいたりする。b-monsterに関わって前向きになる人が増えていることは、本当にうれしいですし、やりがいも大きいですね。
美樹 私も、眞琴と同じですね。起業するために社員が辞めるときも、その社員が会社を辞めてしまうこと自体は悲しいですが、「起業したい」という前向きな理由なのでうれしさもあります。
先日、「b-monsterに10カ月通い13kg痩せたら、性格まで前向きになった。自分も誰かの人生を変えたいと思ってパフォーマーになりたいです」と面接を受けに来てくれる人がいたんです。ただのボクシングジムだけど、ここまで人の人生を大きく変えているんだと実感できたことは、とても幸せでした。
目標は発祥地のNYへの進出
――スピード感を持った経営が急成長につながっていると思いますが、今後の目標を教えてください。
美樹 もっと、世の中になくてはならないサービスにしていきたいですね。「現状に満足してはいけない」という気持ちはあります。
具体的には、今後b-monsterのプログラム内容をライブ配信して、自宅用のキットを作り、自宅や旅行先、出張先でもb-monsterを楽しんでもらえるようにしたいです。実店舗は、どうしても地域が限られてしまいますが、ライブ配信などを活用して「ジムへ通う」ことへのハードルを下げたいと思っています。
眞琴 後は、社員みんなの目標でもありますが、3年以内にニューヨークに進出したい。私たちも、暗闇ボクシングジムを日本に持ち帰って、自分たちなりに進化させてきたという自負はあるので、本場に逆輸入したときに通用するか試してみたいです。
b-monster代表。大学生の頃からビジネスに興味を持ち、洋服のレンタルサービスやカメラマンと旅行者のマッチングサービスを手掛ける。2016年2月に妹・眞琴さんと行ったニューヨーク旅行をきっかけに起業し、暗闇ボクシングスタジオの運営を始める。
塚田眞琴さん(右)
b-monster取締役。高校生の頃は、インターネットの掲示板で相方を探し「ハイスクールマンザイ」に出場。駒沢大学法学部を退学し、現在は姉・美樹さんとb-monsterを運営する。
(取材・文 浜田寛子=日経doors編集部、写真 吉澤咲子)
[日経doors 2019年9月12日付の掲載記事を基に再構成]
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