女性写真家の台頭 ナショジオに見る100年の軌跡

日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック日本版

1967年、当時の編集長メルビル・ベル・グロブナーのデスクを取り囲む「世界最高の写真家チーム」は、全員男だった(PHOTOGRAPH BY JAMES RUSSELL, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

ナショナル ジオグラフィックの写真家として活躍する女性は、かつては珍しい存在だった。女性といえば、カメラに向かってほほ笑む飾り物にすぎず、その姿を写真に収めるのはもちろん男性と考えられていた。

だが、それは昔のことだ。

ここに1枚の白黒写真がある。撮影されたのは1967年。「世界最高の写真家チーム」と書き添えられた写真に写るのは、スーツにネクタイ姿で、当時のナショナル ジオグラフィック編集長メルビル・ベル・グロブナーのデスクを取り囲む25人の男たちだ。写真歴史家のナオミ・ローゼンブラムは、「この雑誌(そしてその他の出版物)が頼りとしていた写真という共通言語は、ただ男性の目と心のみによって生み出されていた」と書いている。

「それで、写真家はいつ到着するんだね?」

ナショジオ専属の女性写真家だったシシー・ブリンバーグは、1980年代になってもそんな質問を浴びせられたという。

撮影用機材が入ったケースをいくつも引きずりながら、博物館のドアを開けて入ってきたブリンバーグは、ただ一言「彼女ならもう到着してます」と答えるのだった。

2000年に、私(上級編集者のキャシー・ニューマン)が写真部副部長のキャシー・モランと協力してナショナル ジオグラフィックの女性写真家について本を書こうとしていることを、社内のある男性写真家に話したところ、彼は襟についたホコリでも払うかのようにそっけなく答えた。「女性の写真家? 薄い本になりそうだね」

完成したのは、232ページのハードカバーだった。

2019年、カメラの前にはナショナル ジオグラフィックに写真を寄稿する女性写真家と女性スタッフの一部が集まった(PHOTOGRAPH BY MARK THIESSEN, NATIONAL GEOGRAPHIC)

6年前、長年写真家として活躍し、写真編集者の経験も持つサラ・リーンが、ナショジオ初の女性写真部長に就任した。現在、同誌に写真を寄稿する女性の数は47人(男性は67人)。

宗教画が納められたみこしに手を伸ばす信者たち。フィリピン(PHOTOGRAPH BY SISSE BRIMBERG, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

だが、本誌ではすでに1914年から女性写真家による写真を採用している。この年に「Young Japan(日本の子どもら)」と題された記事を書いたエライザ・シドモア(参考「桜を愛し、明治・大正の日本を世界に伝えた女性記者」)は、初代編集長のギルバート・ハビー・グロブナーの良き友人で、互いを尊敬しあう仲だった。グロブナーの妻であるエルシーが女性の参政権論者だったこともあり、グロブナーは次のように書き残している。「女性が人を見るとき、しばしば男性が気付かない点に気付くことがある」

学校へ行く前に洗濯物を干すチベット系の子どもたち。故郷を追われ、インドのダラムシャーラーにあるチベット子ども村に住んでいる(PHOTOGRAPH BY SAUMYA KHANDELWAL, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

ナショジオ創刊から最初の50年間、女性による写真は時折持ち込みという形で編集部に舞い込んできた。ドロシー・ホスマーは、26歳で秘書の仕事を辞めた後、蒸気船の3等室の切符を買ってルーマニアへ渡った。そして自転車でかの国を巡り、写真を撮り、原稿を書いた。記事は1938年に掲載されたが、副編集長のジョン・オリバー・ラゴースは掲載前に懸念を示していたという。「世の母親たちは、これを娘に読ませたいと思うだろうか。こんなものがナショナルジオグラフィックに載って、若い娘が単独で世界を旅しても良いなどと思われてはたまらん」

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