バイクで得た自由と絆 日本ユニシス社長の金大高時代平岡昭良・日本ユニシス社長(上)

多彩な同級生と出会った。

こんな難しい受験問題を解けるのはどんな人たちかと思いましたが、入学してみるとガリ勉タイプはあまりいなくて驚きましたね。その後、同級生たちはだいたい3分の1が金沢大の医学部、3分の1が東大・京大に進んだように思います。

国立高校ですから学区があるわけではないので、かなり遠くから通ったり、アパート暮らしをしたりする人もいました。同級生で片道1時間半かけて能登の方から通っていたのが、今やコーポレートガバナンスの第一人者である高山与志子さん(ボードルーム・レビュー・ジャパン代表)です。その後、東京大学から米エール大学に進まれました。

「父親に買ってもらったヤマハのナナハンで街や海山を駆け巡った」と振り返る

私は実家から通学しました。入学当初はJR美川駅から金沢駅まで電車で行き、バスを乗り継いで高校まで1時間以上かかっていました。それを1年生の途中からバイク通学に切り替えたんです。バイクだと30、40分で高校まで行けるようになりました。

金沢大付属高校が面白いのは、当時はほとんど規則がなかったところです。規則がないので、色々なことが申請すると「どうぞ」となるんです。私は実家が駅から遠いという理由でバイク通学の許可をもらいました。実は家は駅から3分のところだったんですけどね(笑)。

雨の日も雪の日もバイクで高校に通った。

もともと機械類の扱いに興味があり、バイクは少年時代から大好きでした。バイクにかかるお金は家の店で配達の手伝いなどをしてためました。家では小学生の頃から集金をやらされていました。雪が降る寒い中、同級生の家を回るなど嫌でしたね。何でいたいけな子供にやらせるのかを親に聞くと、「だら(石川弁でばか)、子供が行った方がもらえるんだ」と言われましたよ。

高校では最初、中型バイクに乗っていたんですが、そのうち父親に買ってもらったナナハンで通うようになりました。私が購入したモトクロス用のバイクを分解するなどして、ずっといじっているのを見かねて、「こんなものばっかりで遊んでたらだめだ。新車買ってやる」と。「その代わり自分にも乗せろ」と言われましたが……。

選んだのはヤマハです。当時、ヤマハはずっとナナハンを出さなかったんですが、ついに登場したんです。ホンダやカワサキなどもあったんですが、ヤマハのバイクの音が気に入りましてね。今でもヤマハの本社に行くと高校時代に買ったのと同じモデルが展示されています。

一度、大雨で川があふれたたときもバイクに乗って行ったら溝にはまって脱出できなくなって大変でした。ちょうどその日は試験だったので、さすがに焦りましたね。

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