自転車選手・新城さん 「帰らなくていい」父の激励
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は自転車のプロロードレーサー、新城幸也さんだ。
――自転車レースの世界最高峰といわれる「ツール・ド・フランス」に7回も出場しています。ご両親も喜んでいるのではないですか。
「初めて出場したのは2009年です。地元の沖縄・石垣島でロードレーサーとして走っていた父は、とても喜んでくれました。母も自転車のことは何も知らなかったはずなのに、テレビの専門チャンネルに加入して、どんどん詳しくなっていきました。実家の洋服タンスが服ではなくて自転車番組のテープでいっぱいになっていましたね」
――自転車の道を志したのはお父様の影響ですか。
「小さいころから父のレースを見ていて、自転車は身近なものでした。でも僕は高校までハンドボールをしていて、自転車選手になるつもりはなかったんです。その後、大学受験に失敗して途方に暮れていました」
「そんな時、トップレーサーで父の知り合いの福島晋一さんから、『君には才能がある。フランスにこないか』と誘われたのです。実は僕が高校生だった時に福島さんと一緒に自転車で走ったことがあって、その印象が良かったのかもしれません。フランスといえば自転車の本場です。ほかにやることもないし、いいかなって軽い気持ちでした」
――よくご両親は許してくれましたね。
「父は『頑張ってこい!』と。母はそんな父に文句を言っていたらしいですが、内心では『2~3カ月で帰ってくるだろう』と思っていたようです。僕は、初めて本格的に走ったレースが楽しくて楽しくて……。カテゴリーの一番下からのスタートだったんですが、のめり込みました」
――06年にはプロに転向しました。お父様は何と。
「父はレーサーのつらさを知っていますから、『大丈夫か?』と期待半分、心配半分という感じでした。1年のほとんどを海外で過ごしていますが、『何かあっても帰ってこなくていい』と言ってくれていて、その言葉は何よりも励みになります。実際、祖父が亡くなった時はレースで帰国できませんでした」
――来年はいよいよ東京五輪。出場すれば、3大会連続となりますね。
「調子はいいです。10月に埼玉であったレースでも優勝しました。前日に父と2人でお酒を飲んだんですが、地元の誰が何をしているかとか誰が結婚したとか、そんな話ばかり。沖縄って地元のつながりがすごく強いんです」
「実は僕は石垣島で初めての五輪選手。ロンドンとリオデジャネイロ大会の時は父や母だけでなく、地元の人が総出で祝福してくれました。やっぱり五輪の熱はすごい。東京大会は開会式の翌日が自転車競技なんです。代表を勝ち取り、メダリスト第1号になってみんなを喜ばせてあげたいです」
[日本経済新聞夕刊2019年12月17日付]
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