怒鳴る夫・毒親の干渉 ひきこもった母親に訪れた変化
既婚で子どもがいても「自分はひきこもりだ」と感じている女性は少なくありません。女性のひきこもり当事者が、主婦や家事手伝いで存在が表面化しづらいこともあります。彼女たちは、育児や家事に必要な最低限の外出をこなし、ときには働いているケースもあります。しかし他人だけでなく、家族とすらコミュニケーションできなくなっている場合も多いのです。都内に住む石川佳恵さん(40代後半、仮名)は出産後、夫の精神的な暴力を恐れて部屋にひきこもりました。発達障害や過干渉な「毒親」との関係も、人生に大きな影を落としています。佳恵さんが今、親たちに伝えたいこととは。
父に怒られ泣く娘を、恐怖のあまり助けに行けない
ドン!という大きな音が、部屋に響きました。隣室にいる夫が、佳恵さんを呼びつけるために、壁を殴りつけたのです。たびたび殴るので、しまいには壁に穴が開いたといいます。また怒鳴られるのではないか……。佳恵さんは大きなおなかを抱え、恐怖に包まれました。約20年前のことです。
2歳上の夫とは大学時代に知り合い、佳恵さんの卒業後まもなく結婚。5年は順調に過ぎました。しかし「妊娠した頃から、夫は怒鳴ったり、暴れたりするようになりました」(佳恵さん)。
女の子を出産し、仕事に復帰した後も、佳恵さんは帰宅すると夫が怖くて、自室にひきこもるようになりました。夫と娘とは寝室も別になり、育児は近くに住む義父母を頼りました。佳恵さんは部屋を片づけようとすると、どんどん物を取り出して収拾がつかなくなり、かえって散らかしてしまいます。発達障害によく見られる特性ですが、当時は診断を知らず、「自分はグズだ」と思うばかりでした。
散らかり放題の家は、夫の怒りを買いました。部屋の外では夫が「お母さんが片づけないから片づけろ!」と幼い娘を怒鳴りつけ、彼女がわっと泣き出す声が聞こえます。しかし恐怖のあまり、助けに行けません。「自分が怒鳴られるのも怖かったし、娘への叱責も、自分が怒られたように感じました。布団に潜り込み、もんもんと悩んでいました」
娘が小学校に入学すると、仕事と子育ての両立が難しくなる「小1の壁」にも直面しました。朝や夜に子どもを預けられない悩みなどから、うつ病になり、退職。佳恵さんが職を転々とするようになると、夫の言葉の暴力はさらにエスカレートしました。
それでも、PTA活動や娘の塾の送り迎えは何とかこなしていたため「外からは、普通の母親に見えたと思います」。しかし娘の小学校卒業と同時に、夫に離婚を切り出されました。当初は夫が家を出て、佳恵さんと娘が2人で暮らしました。しかし娘は中学2年になると「パパと暮らしたい」と言い出します。佳恵さんはうつ病を抱え、家事も思うようにならない状態。受け入れるしかありませんでした。
逃げるように引っ越し 「どん底」で知る意外な事実
荷造りもそこそこに「夜逃げ同然」の姿で引っ越した佳恵さん。娘と会えないつらさに薬の副作用が重なり、ほぼ寝たきりになってしまいました。
「ふとした時に、娘のことを思い出して涙が止まらなくなり、毎日大泣きしていました。仕事も続かず、うつ病の薬も効かず、どうして?と疑問符が湧くばかりでした」
母親は繰り返し「障害者手帳を取りなさい」と勧めました。佳恵さんが不審に思って問いただすと、意外な事実を明かします。「あなたは、幼い頃に『微細脳損傷』(発達障害に当時付けられることが多かった病名)の診断を受けていた」
思い当たる点はいくつもありました。片づけられない、物理は得意だが文系は惨憺(さんたん)たる成績など出来不出来の差が激しい、子ども時代は動作が鈍くてひどいいじめにあった……。佳恵さんは、苦い思いをかみ締めます。
「もっと早く教えてほしかった。障害が分かっていたら、育児や家事がうまくできなかったことを、夫や周囲の人に理解してもらえたかもしれない」。2013年、改めて診断を受け、障害者手帳を取得します。佳恵さんはすでに40代。子どもの頃から「ぐず」「気が利かない」と怒られ通しで、自己肯定感は大きく損なわれていました。
過干渉な毒親、思春期は「ないも同然」
障害に加えて佳恵さんを苦しめてきたのが、母親の過干渉です。
小学校時代は友人を作ると「家柄が良くない」などと理由をつけて「あの子とは付き合っちゃダメ」。中学に入ると厳しい門限を決められ、ゴスペルバンドに入るのも禁じられるなど「行動をすべて制限され、思春期はないも同然でした」
母親は、気に入らないことがあると、実力行使もためらいません。大学時代に佳恵さんがパーマをかけると「そんな頭にして!」と美容院に強制的に連れて行かれ、パーマを落とされたこともあります。元夫は結婚前、母親に会うと「君の親、おかしい」と断言しました。結婚したのも、半分は「毒親」から逃れるためです。
「彼は当時、名の通った大学に通い、大手企業の内定も得ていました。話題も合ったし、ご両親もいい人たち。この人なら親もケチのつけようがない。家を出るチャンスだ!と思ったんです」
結婚している間は収まっていた、実母による干渉は、離婚後に復活しました。離婚を伝えた翌朝、母親は家に押しかけてきました。家の外で近所の人を相手に「ひどい旦那だ」「娘と孫を連れて帰らないと」と騒ぎ立てたのです。
「出て行ったら、本当に親の家に連れ去られてしまう」。ぞっとした佳恵さんは娘に学校を休ませ、居留守を使いました。母親が押し続けるインターホンの音がやんだのは、2時間後でした。
佳恵さんの友人の1人は、こんなエピソードを語ります。「佳恵さんのお母さんに会ったとき、挨拶しても完全に無視されました。僕の連れの女の子とは、楽しそうに話しているんです。何が気に入らなかったのか分かりませんが、あまりにも露骨で驚いたし、佳恵さんのつらさを、少し理解できました」
終わらない毒親との関係 自分を受け入れて、訪れた変化
佳恵さんは「毒親との関係は、全く終わっていない」と語ります。母親からは、今も頻繁に「顔を見せろ」と電話や手紙が来ます。「拒否するとひどい騒ぎになるので、先日も行きました。前日はほとんど眠れませんでした」
急に押しかけられ、拉致されるのではという恐怖心も消えないといいます。障害を理解してもらおうと、母親を発達障害のある人が集まる場へ連れて行ったこともあります。しかし母親は一言「ああいう人たちと、付き合っちゃダメよ」。
「子どもが『ああいう人』の1人だとは全く認識していない。改めて失望しました」。一方、親としての自分は「ひきこもってしまい、娘には何もしてやれなかった」。ただ母親を反面教師に、余計な干渉はするまい、と心がけてきました。離ればなれで暮らしていた娘は難関大学に合格し「すっかり『リア充』女子」だといいます。
「親は、とにかく過干渉しないでほしい」というのが、佳恵さんの切実な願いです。ひきこもりの家族会などで、当事者と対話するのも、自分の「毒親」的な気質を意識する方法だと勧めます。「実の親子だと価値観を押し付け合ってしまうけれど、他人の子の話なら素直に聞けるかもしれない。自分を客観視するのに役立つと思います」
ありのままの自分を認めよう 封印が解けた
佳恵さんは障害の診断を受けて「自分を責めるのはやめよう」と思うようになりました。話を聞いてくれる近所の人と出会い、精神障害者の支援センターなど安心できる居場所を見つけたことで、次第に外にも出られるようになりました。
もう一つ、大きな変化が起こりました。更年期障害の症状が出たことをきっかけに、中学時代から覚えていた性別の違和感に、きちんと向き合う決意をしたのです。実は当時から同級生に「石川君」と呼ばれることもあった程、ボーイッシュな服装を好み、女性に恋した経験もあるといます。元夫と恋愛し、結婚したことで、セクシュアリティの問題を封印していたのです。離婚した後は、発達障害の薬が合わなかった時などに「女の着ぐるみを着ているような居心地の悪さ」もありました。現在は「性自認が、精神的な揺らぎと共に揺れ動く」と話し、ホルモン剤の注射を受けて違和感を解消しようとしています。「ありのままの自分を認めよう、と考えられるようになって、封印が解けたのかもしれません」
最後に、こう結びました。「障害のせいでつらいことも多かったけれど、シングルマザーにひきこもり、セクシュアル・マイノリティーなど、いろんな体験ができた人生には意味があったのかもしれない、とも思えるようになりました」
(取材・文 有馬知子)
[日経DUAL 2019年7月3日付の掲載記事を基に再構成]
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