英国風のスーツを着るなら、せめて「ブリッグ」の傘を

「『エルメス』は、世界で一番いいハンド・バッグの店である。」

伊丹十三は、そのようにも断言しています。いったい何を根拠に断言したのか。当時のエルメスは世界一、革を捨てる店だったから。革は自然界の生物で、個体差があります。多くの原皮の中から、鞄のためにほんの少しよい所だけを集めてバッグに仕立てる。それも個体差を極力小さく。だから永年使っても、型くずれがなかったのです。

日本の伝統工芸品も好んだ。こちらは刺し子のはんてん (c)伊丹プロダクション

「だから、まあわれわれは、せいぜい、『ブリッグ』の蝙蝠傘を持ち、『ダンヒル』のパイプをふかすくらいで我慢したほうがいいと思う。」

「だから……」とあるくだりはイギリスの服を着こなすにはイギリス人になる他ない。そんなことはできないので。という段落から続けられるのであります。

「ブリッグ」はロンドンに古くから続く傘専門店です。今は合併などを経て「スウェイン・アドニー・ブリッグ」として知られています。1750年に乗馬用鞭(むち)の専門店として生まれました。現在はアタッシェケースなども作っていて、かのイアン・フレミングが愛用したといいます。

伊丹十三に従うなら英国風のスーツを着るのであれば、せめて「ブリッグ」の傘を携えることからはじめようではないか、ということになるでしょう。「ヨーロッパ退屈日記」の表紙には、伊丹十三の筆になる「ブリッグ」の傘が描かれています。

いやはやしかし。この「ヨーロッパ退屈日記」という書物。これが今からざっと60年前に書かれていることに、私たちは思い至るべきでしょう。私たちはこの60年間、いったい何をしていたのか。

「服」を着ることにおいて、進化したのか、退化したのか。そのことのリトマス試験紙が、伊丹十三であるのは間違いないでしょう。

出石尚三
服飾評論家。1944年高松市生まれ。19歳の時に業界紙編集長と出会ったことをきっかけに服飾評論家の元で働き、ファッション記事を書き始める。23歳で独立。著書に「完本ブルー・ジーンズ」(新潮社)「ロレックスの秘密」(講談社)「男はなぜネクタイを結ぶのか」(新潮社)「フィリップ・マーロウのダンディズム」(集英社)などがある。

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