人類学者・海部陽介さん 異分野への関心、父に似る
それでも親子
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は人類学者で、台湾から与那国島まで丸木舟による渡航に挑んだ海部陽介さんだ。
――お父様は天文学者だった故・海部宣男さんです。陽介さんが子どものころはどんな存在でしたか。
「実は小さいころに密に接した記憶はありません。いわゆる放任主義でしたね。研究が忙しく、長野・野辺山の宇宙電波観測所で働いていたころは週末にならないと帰ってこなかったです。ただ家には『岩波少年文庫』など子ども向けの本があふれていて、ジャンルも科学から歴史まで様々でした。自分の興味のあることを探してほしいという思いがあったのでしょう」
――分野は違いますが、お父様と同じ研究者の道に進みました。
「研究者を志したのは父の影響ですが、それは研究者以外の仕事を知らなかったからです。進路について直接相談したことはありませんが、『専門に進む前に様々な分野を幅広く学んでおくように』と助言してもらいました」
――研究者という仕事について、お父様と話すことはありましたか。
「父は弱みを見せない人でしたが、私としてはそういうところを見せてほしかった。2016年に父の病気がわかった時、3人の弟に声をかけて、家族で父親の話を聞く機会を作りました。体力が弱っているなかでも、研究プロジェクトの失敗など挫折の経験を話してくれました。亡くなるまでの3年間は、父と真正面から語り合う貴重な時間になりました」
「研究の成果を社会に伝えるにはエッセンスだけでなく、研究者の地道な苦労を知ってもらうことも大切だと感じています。それを父に伝えた時は『それはいい考えだ』と同意してくれました。研究者が情報発信するためのスキルをどのように磨くか、人類学の成果をどのように今の社会に役立てるかを、これからも考え続けたいと思います」
――お父様が亡くなった後、台湾からの実験航海に成功しました。
「日本人のルーツを探るため、与那国島までの約200キロを丸木舟で渡りました。インターネットなどで情報が共有されるなか、一般の人たちが研究の意義を思い思いに解釈して楽しんでいることが分かり励みになりました。生前の父には、準備の進捗や研究目標について折に触れて報告していました。興味を持って聞いてくれました」
――同じ研究者として似ているところはありますか。
「父の背中を追っていたわけではありませんが、気づけば父と同じような考え方をしていると思います。父は当時注目されていなかった電波天文学の道に進み、学際的な研究に力を入れました。私も人類学の中に、今回の航海のような再現実験を取り入れました。科学の発展のためには、1つの分野にとどまっていてはいけないという根底の部分は似ていると思います」
[日本経済新聞夕刊2019年12月3日付]
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