温かな麦ごはん、無罪の支え 村木厚子さん食の履歴書

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午後9時に就寝する決まりだ。幸い不眠に悩まされることはなく、普段より睡眠は取れていた。夫や2人の娘が心の支えとなったほか、友人知人から500通の手紙が届き、70人が面会に来た。大阪拘置所は冷暖房設備がなく、真夏は35度近くまで気温が上がる過酷な環境だった。だが、多くの励ましを得て「食べていれば大丈夫」と思うことができた。

寒くなり、さすがに不安を覚え始めた11月、ようやく保釈が認められた。保釈会見を終え、東京に戻る新幹線で弘中惇一郎弁護士や家族と飲んだ缶ビールの味は忘れられない。久々の自由が体に染み渡るようだった。

料理は気分転換(山田麻那美撮影)

自宅に戻ったらやりたいことがあった。当時高校生だった次女の弁当づくりだ。仕事に子育てに忙しい日々、料理は気分転換を兼ねてするものだった。肉じゃが、コロッケ、茶わん蒸し――。「みんな食べるのが好きだから、ほかの家事の手間は省いて料理をしてきました」。だが、保釈直後は体力、気力ともに落ちていて、料理もままならない。弁当づくりを再開できたのは1カ月ほどたってからだ。

続く裁判では、関係者の供述調書が検察官の誘導により強引に作成されたものであったことが明らかになった。10年9月に無罪判決が出て、検察は控訴を断念。無罪が確定した翌日、官僚としての猛烈な生活が再び始まった。

だが、本当に事件が終わったのはもう少し先だった。その後1年半くらい深い喜びや悲しみを感じず、感情の幅が制限されているような不自然な精神状態が続いた。パリン。ある日ガラスが割れるような音が聞こえ、ようやく本来の自分が戻ってきた。「無罪を得ても、ぬか喜びしてはいけないと、プレッシャーがかかっていたんですね」

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