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イカからタラへの発想転換が決め手だったと、なとりの西村豊・取締役執行役員は振り返る

イカからタラへの発想転換が決め手だったと、なとりの西村豊・取締役執行役員は振り返る

おつまみや珍味で知られる食品メーカー「なとり」。1982年に発売した「チーズ鱈」は今もヒットを続けるロングセラー商品だ。タラのすり身をシート状にしたタラシートで、チーズを挟んだ和洋折衷の逸品は、どのようにして誕生したのだろうか?

(下)珍味とおつまみは違う 「チーズ鱈」進化の四半世紀 >>

さきイカやスルメに代表されるように、イカは珍味業界ではなじみ深い食材だ。なとりにとっても、創業の原点ともいえるほど、思い入れの深い原材料の一つだった。

創業者で初代社長の名取光男氏は、海に面していない内陸県、長野県(諏訪郡)出身。志を抱いて上京し、精米業から事業を起こしたが、戦争による統制で事業転換を余儀なくされ、乾物などの水産加工品に目を付ける。

戦後間もない1948年、なとりの前身となる名取商会を発足し、最初の製品「いかあられ」を発売した。55年には甘く味付けしたのしイカ「東京焼きイカ」を全国で発売しヒットを飛ばした。高度経済成長を経て、洋食が広まっていった60年代に、光男社長が目をつけたのは、西洋の食材「チーズ」だった。

チーズを小さく切ってキャンディー式に包装した「一口チーズ」を発売したものの、当時はまだ冷凍保管や輸送手段が整っておらず、失敗してしまう。化学メーカーと脱酸素剤を開発するなどしてチーズを常温保存できる見込みが立った81年、今度は和洋折衷の珍味を世に送り出すべく、チーズとイカを組み合わせた新商品の開発に取りかかった。

そこに大きな壁が立ちはだかった。時間の経過とともにイカが赤く変色してしまうという壁だ。しかも、常温保存のために使用する脱酸素剤がイカの変色を促進してしまうという、皮肉な一面もあった。

この難問を乗り越えようと開発陣は頭を悩ませた。しかし、どうしても課題をクリアできずにいた。

光男社長の死去に伴い、その長男である名取小一氏が81年8月、社長に就任した。初代からその思いを引き継いだ2代目の小一社長はここで、大胆な決断を下す。チーズに合わせる食材を、イカからタラへと変えたのだ。

「珍味のステータスとしては、イカの方が上。『本当にタラでいいのか』という声は社内にずいぶんあったようです」。同社執行役員でマーケティング・R&D開発本部長の西村豊氏は当時の状況を説明する。

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