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福士成羽さんは退職から約17年を経て、最初の勤め先ゆかりの職場に戻った

福士成羽さんは退職から約17年を経て、最初の勤め先ゆかりの職場に戻った

いったんは退職したOB・OGの「アルムナイ(alumni=卒業生、同窓生の意)」がかつて籍を置いた勤め先へ戻る事例が増えてきた。なかにはPRAヘルスサイエンス(大阪市)のファーマコビジランス(PV)部部長を務める福士成羽(ふくし・しげは)さんのように、専業主婦を含む多彩な経験を生かし、50代でマネジメント経験ゼロからいきなり約150人の部を率いるリーダーになったケースもある。長く年月を隔てて復帰し、マネジャーになった福士さんのケースでは、社外での豊富な人生経験がマネジメントをするうえでも生きているようだ。

「復職した時点では、まさか管理職になるとは思ってもみませんでした」。福士さんはこう振り返る。

製薬会社の医薬品開発業務の受託・代行サービスを担うPRAヘルスサイエンスで、PV部門は最大の約150人という大所帯。それを率いるリーダーが福士さんだ。PVとは、薬に関する副作用情報を収集、記録、評価し、厚生労働省に報告したり、正しい薬の使い方を発信したりする仕事だ。「医薬品安全性監視」などと訳されることもある。

福士さんは1988年、大阪大学薬学部を卒業し、新卒で武田薬品工業に研究職として入社した。化学研究所や開発部門に計9年勤務した後、育児のために退職。専業主婦時代は在宅で翻訳のアルバイトなどをしていた。娘が小学校の低学年になった頃、「持っている資格を生かしたい」と、まずは近所の薬局でパートタイマーの薬剤師として働き始めた。

転機が訪れたのは、娘が高校生の時だ。勤務していた薬局から「管理薬剤師として働かないか」という誘いがあり、改めてキャリアを考え直した。

「このまま薬剤師として働き続けるか、ほかにやりたいことはないのかを立ち止まって考えたとき、もう少しチャレンジしてみたいなという意欲がわいてきたんです」

「ダメでもともと」と人材エージェントに登録してフルタイムの仕事を探したところ、薬局や医院、患者などから、薬に関する電話相談を受け付ける製薬会社のオペレーターとして採用された。雇用形態は当時、制度としてあった特定派遣。正社員として派遣会社に常用雇用され、そこから派遣先の製薬会社へ派遣される形だった。

1年後、「このままオペレーターとして働き続けていくべきかどうか」で悩んでいると、古巣の武田薬品工業がPV部門のスタッフを募集していることを知った。ホームページから応募し、2015年、武田へ再就職。それから約2年後の17年、米PRAヘルスサイエンスと武田が合弁会社を設立することになり、そのPV部門のトップに、福士さんが抜擢された。

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