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始業前の高3の教室。朝礼に備え8時40分集合のはずだが、時計はすでに8時42分をまわっている

始業前の高3の教室。朝礼に備え8時40分集合のはずだが、時計はすでに8時42分をまわっている

進学校の強さの秘密を読み解くこのシリーズ。甲陽学院中学校・高等学校(兵庫県西宮市)編2回目の今回は、その立地に注目する。中学が海に近い住宅街にあるのに対し、高校はその4キロあまり北側の山裾に立っており、日常の交流はほとんどないという。中高一貫校には珍しいそのスタイルには、どんな狙いがあるのか。教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏が迫った。

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中学では制服、高校では私服

中高一貫校でありながら、中学と高校が離れた場所にある。まわりの環境も違えば、校舎の趣もまるで違う。さらには中学と高校では、校内の雰囲気ががらりと変わる。どちらの校舎を訪れるかによって、甲陽という学校に対する第一印象はまるで違ったものになるはずだ。

外見からしてかっちりとした進学校という印象を与える中学の校舎の中には、進学校らしいピリッとした緊張感がある。かたや、一見、山の中にある古びた学校の印象を与える高校の校舎の中には、ゆる~い空気が漂う。温冷療法のようなそのメリハリが、思春期の男の子たちを刺激する。

創立は1917年。もともとは現在の甲子園球場の近くにあった。1940年には香櫨園に甲陽高等商業学校がつくられる。いわゆる皇紀2600年を記念しての事業だった。甲陽高等商業学校はのちに甲陽工業専門学校になるが、太平洋戦争後に廃校となった。

戦後の学校制度改革によって、旧制の甲陽中学校(5年制)は、新制の甲陽高等学校と甲陽中学校に改組する。旧制甲陽中学校の校舎をそのまま新制甲陽高等学校として使用し、廃校になった甲陽工業専門学校の校舎を新制甲陽中学校の校舎とした。1978年には高校が、甲子園から現在の苦楽園に移転。現在に至る。

2019年には東京大学に34人、京都大学に49人、国公立大医学部に63人もの合格者を出した超進学校ではあるが、「進路指導部」はない。代わりに「進学資料室」があり、そこで生徒からの相談に乗る。進路については生徒自らが考えることであり、指導はしないというのが学校の頑(かたく)ななスタンスだ。中学ではきめ細かな指導をするが、あえて徐々に面倒見を悪くしていき、最終的には自分で自分の道を選べるひとに育てる。

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