日経ナショナル ジオグラフィック社

2019/12/4

その後、関係者が数少ない記録をまとめて1955年に公表したものの、ライスナー氏の調査からほぼ100年もの間、ヌリは忘れ去られていた。

1922年にツタンカーメンの墓が発見され、世間の関心がヌリから800キロ北にある王家の谷に移ったことや、ヌリの調査は困難と敬遠されてきた面もある。墓の多くは水没しているとみられ、スーダンで水中考古学にチャレンジしようと考える研究者はいなかった。それに、スーダン北部のヌビア地域は、その他にも考古学者の興味を引く遺跡が数多くあった。


水没した墓

クリースマン氏が初めてヌリを訪れたのは、2018年のことだった。エジプト学者であり水中考古学者でもあるクリースマン氏(ちなみに、米アリゾナ大学年輪年代学研究室の准教授でもある)は、ライスナー氏が果たせなかった水中の墓を発掘するというめったにない機会に巡り合う。

そしてナショナル ジオグラフィック協会から一部資金援助を受け、紀元前335~前315年にクシュ王国を支配していたナスタセンのピラミッドに焦点を絞ることにした。ナスタセンはヌリに埋葬された最後のファラオだったので、墓地のなかでも最も低地にある最も条件の悪い場所にピラミッドを建てなければならなかった。

水中墓地に関するライスナー氏の記録が正しいとすれば、ナスタセンの埋葬場所を発掘することで、この墓地遺跡全体が現在どれほどの水没状況にあるか推測できるのではないかと、クリースマン氏は考えた。

ライスナー氏の発掘チームは100年前、岩を切り出して作った階段を掘り起こした。階段は、ナスタセンのピラミッドの地下深くにある埋葬室へと続いていた。発掘チームのひとりが、膝まで上がっていた水と格闘しながら第3の部屋まで到達すると、そこで部屋の隅に小さな穴を開け、副葬品の像を数体発見して持ち帰った。それ以後ヌリの発掘は行われず、ナスタセンの墓とそれに続く階段は放置され、やがて砂漠の砂に埋もれていった。

クリースマン氏の発掘チームは、2018年から階段を再度掘り起こし始めた。2019年1月に墓の入り口に到達したが、そこは完全に水没していた。気候変動や近隣での盛んな農業、ナイル川のダム建設によって地下水が上昇したためと思われる。

2019年1月、ナスタセンの水没した墓へ入る準備をするダイバー(PHOTOGRAPH BY ARTHUR PICCINATI, NURI PYRAMIDS EXPEDITION)

墓の中へ

私がヌリを訪れた時にはすでに、狭い墓の入り口は鉄製の枠で補強されていた。岩が崩壊してダイバーが墓の中に閉じ込められるのを防ぐためだ。私は、そこを通り抜けて第1の部屋へ入った。クリースマン氏が言ったように、水は天井まで達していた。少しでも体を動かせば、泥が舞い上がって視界がきかなくなる。

第1の部屋は、バス1台とほぼ同じ大きさ。その中を手探りで移動しながら第2の部屋へ入り、水面から頭を突き出した。ここは天井が崩れ落ち、水面の上に大きな空間ができていた。クリースマン氏は、道具の入った袋を乾いた岩の上に置き、透明容器に入れた懐中電灯を水面に浮かせた。懐中電灯は波に揺られながら暗闇を照らしてくれる。入り口から墓の一番奥まで安全ロープが張ってあり、浮きの代わりに空き缶がくくり付けられていた。

ヌビア人王朝のヌリ墓地遺跡。中央手前にあるのは、シャスピカ王(在位紀元前487年~468年)のピラミッド(PHOTOGRAPH BY PEARCE PAUL CREASMAN, NURI PYRAMIDS EXPEDITION)

次に、低い入り口をくぐって第3の部屋へ進んだ。濁った水の下に、石棺が置かれているのがかすかに見えた。興奮させられる光景だ。また、100年前にライスナー氏の助手が掘った穴も見つかった。調査が初期段階にある現時点でのクリースマン氏の目標は、空気供給システムの安全性を確認し、基本的な測定を行い、「ライスナーの穴」を徹底的に掘り返し、他に何か残されていないか探すことにある。石棺のなかをのぞき見るのは、来年までおあずけだ。

最後に、第3の部屋でクリースマン氏と私は石棺の上に浮かびながら、2020年の目標について語り合った。それは、水没した2300年前のファラオの埋葬室を発掘すること。大がかりな計画であり、大変な作業を要するが、クリースマン氏は楽観的だ。

「知られざるヌリの物語を明らかにするテクノロジーをようやく手に入れました。この時代は歴史のなかでも重要な時期だというのに、私たちはそれについてほとんど何も知りません。彼らの物語は、世に伝える価値が十分にあるのです」

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