野球監督で得た戦略思考 フライヤー大賀氏の西高時代
大賀康史・フライヤーCEO(上)
大賀康史・フライヤーCEO
45万人超のビジネスマンが利用するビジネス書要約サイトを運営するフライヤー(東京・千代田)。2013年に同社を起業した最高経営責任者(CEO)の大賀康史氏は、全国でも指折りの進学校とされる東京都立西高校の出身だ。今のビジネスからすれば、高校時代は図書館に入り浸りだったかというと、さにあらず。野球部とロックバンドを掛け持ちする、ハードな日々が起業の原点を形作ったという。
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地元の中学校から都立西高を受験した。
中学校から野球部だったので、塾にもあまり通わず、受験対策にも熱心ではありませんでした。では、なぜ西高を受けたかといえば、昔から「何も考えずに、一番上を選ぶ」という、自分流のルールがあったからです。
人間は思い描いたイメージに従って動くところがあります。だから、低い目標を持つと、後から上がりにくくなってしまいます。この「自分ルール」をあてはめると、学区トップの西高しか選択肢はなかったわけです。ただ、大学受験では最初、同じルールから東京大学を志望したものの、野球部が終わった後、受験まで半年しか期間がとれないので、合格したところに入ろうと思い、早稲田大学理工学部(機械工学科)に進みました。
打ち込んだ野球では必ずしもスター選手というわけではなかった。守備位置はセカンドが多く、打順も2番や9番が大半だった。
あまり肩が強くなかったので、セカンドは向いていました。地味に思われがちなポジションですが、クレバーな動きが求められます。ランナーのけん制やバントのシフトなどでは、緻密な連係プレーの軸になります。技術的にも要求水準が高く、たとえばゲッツー(ダブルプレー)の際には何種類かのトスを使い分ける必要があります。こういったプレーの精度を高める取り組みは、性格に合っていた気がします。
体格や筋力といった、持ち前の条件は変えにくいので、自分ができることに磨きをかけるという作戦でチームに貢献しました。たとえば、バントは得意でした。クリーンアップにつなげる打順では、ランナーを進めるバッティングでミスを抑えられたと思います。肩は弱かったのですが、キャッチするのは得意でした。ノックの捕球率ではチームでトップ。守備の要となるセカンドとしてはそれなりの仕事を果たせたつもりです。