ダンディと聞いて、どんな男性像を思い浮かべますか? スリーピースを着て、髭を生やし、葉巻をくゆらせながらバーでブランデーグラスを傾けるオジサン? その認識、実は間違ってます!
ダンディとは、時代に抗い、孤独を好み、最後は人知れず消えゆく寂しい男!?
ダンディという表現は、ここ日本において肯定的に捉えられることが多いですよね。しかもその多くは「上司の○○さんって、白髪に髭姿がダンディだよね」とか、「仕事帰りにバーでウイスキーを楽しんでいるなんて、とってもダンディ」みたいに、女性視点で語られています。でも、その歴史を正しく紐解けば、ダンディの意外な真相に辿り着きます。
そこには、先ほど述べた世間一般が想像するダンディ像とはまるで違う、いやもはや真逆といっていい姿が。今回、そんなダンディを正しく理解するために、『ダンディズムの系譜 男が憧れた男たち』の著者、中野香織さんにお話を伺いました。
── 著書『ダンディズムの系譜 男が憧れた男たち』、拝読させて頂きました。こう言っては何ですが、結局のところダンディズムの定義がむしろわからなくなってしまいました。
中野さん(敬称略)「ダンディズムとは、主流に対して抵抗・反発することです。となれば、時代によって主流は変化するので、限定的にこれとこれが揃えばダンディとは定義できないんですよね。ただし、前提条件としてスーツを美しく着ていることが重要です」
── 装いに美学があるということでしょうか?
中野 「主流に対して、ただ闇雲に反発することがダンディではありません。抵抗・反抗しつつも、自分のルールや美学を持ち、それが装いにも現れるのです」
── そもそも、ダンディという価値観が生まれたのは、どんな背景が?
中野「ダンディズムの発祥はイギリスです。階級社会であるイギリスでは、貴族的価値観と並行して常に反発やアイロニーといった精神が存在します。つまり、ダンディズムはジェントルマン社会の主流に対する抵抗から生まれているところもあります。モッズやパンクにも、ある意味同じことが言えます」
── ダンディとジェントルマンって、違うんですか? 似たようなものだと思っていました!
中野 「日本では混同されがちですが、本来のダンディズムはジェントルマン精神の対極にある場合もあります。クールという言葉も本来はダンディズムが源流の一つで、その意味は、大衆から一定の距離を冷ややかに置くということです」
── なんだかカッコイイですね。男として憧れます。
ダンディはナルシスト。イギリス人にとっては蔑称
中野 「ただ、ダンディズムの歴史の中で、ダンディだとされる人たちは大抵良い結末を迎えていません。まぁ、世の大半に対して反発しているのですからね。そうしたこともあって、ダンディズムは結局ジェントルマン勢から排斥されてしまいます。だから、ダンディもイギリス人にとっては蔑称。スタイルに過剰にこだわる、ナルシストという認識です。私もひとりの女性としてダンディな人とお付き合いしたいかと聞かれたら……面倒くさそうで敬遠しますね(笑)」
── ええっ! スーツをビシッと決めたイギリス人を見たら、思わずダンディって言っちゃいそうですけど……。
中野 「それはイギリスではNGです。侮辱されたと捉えられかねません。褒めるなら、『ウェル・ドレスト』と言ってください。ダンディという表現が好意的に捉えられているのは、今では日本ぐらいです。それも、広く一般的には女性視点からの発信が目立ちます。渋くてモテるオジサン=ダンディといった印象が定着していますね」
── なぜ、日本ではそのように曲解されてしまったのでしょうか?
中野 「日本のダンディズムは、フランスの影響を強く受けているんです。フランスはフランス革命後に階級制度が崩壊し、混沌とした時代を迎えます。世の中の価値観が定まらない不安の中、イギリスのダンディズムという貴族的な(なにも生み出さずとも優位を保っていられる)価値観に、フランスの文学者が憧れを抱いたのです。その結果、ダンディズムという価値観は本国イギリス以上に賞賛され、非常にロマンティックなものとして美化されていきました」
── ジェントルマンの概念がそもそも存在しない国においては、ダンディズムのロマンチックな側面ばかりがフューチャーされるでしょうね。
中野 「どこか文学的なんですよね、フランスのダンディズムは。例えば、ボードレールはダンディを憂愁に満ちた落日の最後の輝きに喩えましたが、そこから発展して、ダンディなオジサンとは、寡黙でどこか憂いを帯びたオジサンという感じに」
── まるで武士のようですね。
中野 「そう、だから日本人にはフランスのダンディズムの方がしっくりくるんですよ」