転職は「この指とまれ」で決まる プロ経営者・松本氏
カルビー元会長 松本晃氏
松本晃氏は「転職先の会社のビジョンが自分の価値観に合っているかが大事」と強調する
プロ経営者の松本晃氏は1992年、20年間勤めた伊藤忠商事を退職し、米系のジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)日本法人に転職しました。そこで15年間、経営の経験を積み、プロ経営者としての名声が高まったのです。自分が活躍し、成長できる転職先はどこか。松本氏はJ&Jを選ぶとき、どこに注目したのでしょうか。会社を移って常に結果を出してきた松本氏に「失敗しない転職」の極意を聞きました。(前回の記事は「日本の採用はNG プロ経営者・松本氏の人材目利き力」)
トップにならないと、会社はつまらない
伊藤忠とその子会社のセンチュリーメディカルに在籍した20年間を通じ、会社に多大な貢献をしてきた自負がありました。それに比べて社内の評価は低かった。それが辞めた理由だとお話ししましたが、実はもう一つ理由がありました。
僕は京都大学の大学院を出て24歳で伊藤忠に入社しましたが、働き始めて2年もたたないうちに「会社というのは、自分がトップに立たないと面白くないところだ」と悟りました。トップでなければ、自分の好きなことを自由にできない。下の者は、いつも上の顔色をうかがいながら仕事をしないといけない。真っ平ごめんだと思いましたね。
一方で「伊藤忠では社長にはなれないな」とも思っていました。僕は京大農学部の出身で大学院も農学研究科でした。なぜ農学部を選んだか。当時、京大の学部で一番入りやすかったからなんです。それで自分では「二流学部の出身」というふうに思っていて、伊藤忠のような会社でトップになる可能性は限りなくゼロに近いだろうと考えたんです。
だから「45歳まではこの会社で働き、辞めてどこかの会社の社長になろう」という青写真を描いていました。45歳で辞めたのは、突然思い立ったわけではないんです。
92年の秋に伊藤忠を辞めたとき、転職先はまだ見つかっていませんでした。普通は行く先が決まってから辞めるのでしょうが、20を超える会社からオファーが来ていたので食いはぐれることはないという自信はありましたね。