がん細胞が種を越え感染 ムール貝で発見、人に影響?

日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック日本版

カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー島の海岸に生息するキタノムラサキイガイ(Mytilus trossulus)は、2種類の伝染性がんに感染する可能性がある(PHOTOGRAPH BY CHERYL-SAMANTHA OWEN)

はるか昔、北半球のどこかで、ムール貝の仲間であるキタノムラサキイガイ(Mytilus trossulus)が、白血病に似たがんにかかった。たった一つの細胞の変異から始まったがんは、増殖を繰り返し、貝類の血液にあたる血リンパに乗って体中に広がった。

ここで意外なことが起こった。どういうわけか、がんが水を伝って他のキタノムラサキイガイに感染したのだ。新たな宿主の中でさらに増殖を繰り返したがん細胞は、次々と他の貝へ感染していった。

さらに不思議なことに、がんの広がりはキタノムラサキイガイにとどまらなかった。フランスなどに生息するヨーロッパイガイ(Mytilus edulis)と、チリやアルゼンチンに生息するチリイガイ(Mytilus chilensis)の2種でも同じがんが発見されたのだ。この2種の生息域は、互いに地球の反対側と言っていいほど遠く離れている。

この発見は、2019年11月5日付けで学術誌「eLife」に発表された。伝染性のがんに関する研究は近年増えており、今回の論文もその一つだ。

「別の2種に伝染していたのは、なかなか驚きです」と話すのは、英ケンブリッジ大学で伝染性がんを研究するエリザベス・マーチソン氏だ。「同時に、危機感を抱かせる成果でもあります」。生態的な危機であると同時に、ムール貝は世界各国で好まれる食材だからだ。ただし、がんにかかった貝を食べると、人の健康に影響が及ぶという証拠は存在しない。

伝染するがんが見つかる

伝染性のがんの存在が確認されたのは、ここ数十年のこと。2種の陸生動物で見つかったのが最初だ。

1つは、オーストラリアの絶滅危惧種タスマニアデビルにまん延する「デビル顔面腫瘍性疾患」。2006年に、これが伝染性のがんだとわかった。お互いの顔を噛むという、彼らにとってごく一般的な行動によって感染する。この疾患と、さらに別のよく似た伝染性がんによって、80%以上の個体が亡くなり、深刻な絶滅の危機に直面した。

同じく2006年には、イヌがかかる「可移植性性器腫瘍(CTVT)」が、伝染性のがんだと確認された。他の伝染性がんと同じように、この疾患のがん細胞はすべてクローンであり、その起源は1万1000年前に生きていた1頭のイヌだという。

こうした発見は、がんは一個体内の細胞変異だけが原因だという私たちの考えを大きく変えることとなった。ヒトパピローマウイルス(HPV)やネコ白血病ウイルスのように、がんにつながるようなウイルスは知られていたが、がん細胞そのものが伝染するという事実は衝撃的だった。

過去10年の間に、二枚貝においてさらに6種の伝染性がんが発見されている。今回の論文の著者であり、米国シアトルにある太平洋岸北西部研究所のマイケル・メツガー氏は、そのうちの複数を発見している研究者だ。カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州のキタノムラサキイガイ個体群に広がっているがんもその一つである。