ミイラ「アイスマン」 最後の旅路はアルプス壮絶登山

日経ナショナル ジオグラフィック社

2019/11/23

低地の植物、高地の現場

今回の研究でディクソン氏のチームは、この地域のコケの分布を徹底的に調査し、エッツィの体内と遺体の周囲から見つかった全種類のコケ植物と照らし合わせた。5000年前のアルプスにおけるコケの分布は、現在の分布とよく似ているからだ。

エッツィの体内や周囲で見つかったコケ植物のうち約70%の種類は、標高3000メートル以上では育たないものだった。その中には、風や鳥に運ばれてきたものもあったかもしれない。けれども研究者らは、標高の低い場所に自生するコケが、ヒラゴケ以外にも数種あり、これらはアイスマン自身が持ってきたとしか考えられないと主張する。「距離が遠すぎて、ほかに説明のしようがないのです」とエッグル氏は言う。

ヒラゴケを含め、エッツィの殺害現場で発見されたコケのうちいくつかは、南のイタリア側のシュナルスタール渓谷に自生しているが、北の渓谷にはない。つまり、エッツィがシュナルスタール渓谷に下りてから最後の登山を始めたことを示している。もしかすると、彼は渓谷でコケを集めて携帯したか、あるいは食料を包んだり傷の手当てをしたりするのに使ったのかもしれない。

40代だったエッツィの復元模型(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

標高約800メートルのフィンシュガウ谷の底まで下りて、ミズゴケの一種Sphagnum affineを採集した可能性もある。ディクソン氏は、エッツィはミズゴケの消毒作用を知っていて、手に負った深い傷の手当てに利用したのではないかと推測している。

この発見は、エッツィが南側の土地と深い関係があるという事実とよく一致している。ジンク氏によると、放射性同位体を使った分析により、エッツィがアルプスの南側の土地で育ち、生涯の最後の数カ月をそこで過ごしていたことがわかっているという。

イタリア、フィレンツェ地方考古学局の考古学者ウルスラ・ウィーラー氏も、「アイスマンがアルプスの南側に住んでいて、そこからアルプスに登り、殺害地点に至ったことを裏付ける証拠はたくさんあります」と言う。

ウィーラー氏が最近、エッツィの道具入れの分析を行ったところ、彼の武器は修理が必要な状態で、無防備な状態で殺害されたことが示唆された。今回の研究に氏は参加していないが、エッツィの壮絶な最期が裏付けられるとともに、「アイスマンの最後の日々を再現するためには、植物考古学的な研究が非常に重要であることが再度証明されました」と話す。

大昔のコケは、保存条件がかなり良くないと解析できない。エッツィの場合は、死亡した場所が極寒の峠だったことが幸いした。「植物考古学の世界では非常に珍しいことです」と米スミソニアン国立自然史博物館の植物考古学とゲノム考古学の学芸員ローガン・キストラー氏は言う。「コケ植物は、考古学遺跡で保存されやすい種子や花粉は作りません。環境中では非常に短命な存在なのです」

キストラー氏はまた、今回の研究は「エッツィの発見現場の素晴らしさを示す好例」であると言う。「過去の人物の生涯をリアルに感じさせてくれる、驚異的な場所の1つです」

(文 Megan Gannon、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2019年11月1日付]

ナショジオメルマガ
注目記事
ナショジオメルマガ