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東海大学海洋学部教授の村山司さんと、ぼくは、1990年代に何度か会っている。
当時、イルカブームというものがあって、雑誌やテレビでイルカが出ない日がないと言われるほど(ちょっと大げさかも)、世の中にイルカ情報があふれていた。海でイルカと一緒に泳ぐドルフィンスイムなど、今では目新しくなくなったアクティビティも、日本では90年代に始まった。
そんな中で、イルカの研究も今よりは熱気があったように思われる。イルカの研究を志す若手はいくらでもいて、ぼくはその中の1人として村山さんを知っていた。ぼく自身も、はじめての本『クジラを捕って、考えた』(1995年)から『イルカとぼくらの微妙な関係』(1997年。文庫化にあたり『イルカと泳ぎ、イルカを食べる』と改題)に至るまで、海のほ乳類の取材をよくしており、ざっくりイルカ関連コミュニティの一員だった。
今から思えば、わけが分からない熱気に満ちていた。はちゃめちゃで、混沌としていた。そのコミュニティの推進力となった人たちの中には、「精神世界」の探究に関心を持つ人も多かった。イルカと精神世界がどうつながるのかと不思議に思う人も多いだろうが、「イルカとテレパシーで会話した」などという人が平気でいた。冗談だと思うかもしれないが、本当だ。もっといえば、村山さんの研究者としての先達であるジョン・C・リリー博士は、イルカと神秘主義的な精神世界探究を結びつけた人物でもある。
そんな浮ついた雰囲気の中で、村山さんは「イルカと話をしたい」と心に秘めていた。
ブームが去って、人々は去った。ぼくも海のほ乳類について書くことが少なくなり(ペンギンを経て上陸を果たした、と自称している)、イルカとテレパシーで話したりする人などは神秘主義の向こう側に行ってしまった。そんな中も後も、村山さんは1人「イルカと話をしたい」という願いを実現するべく奮闘していた。そして、20年以上かけて、ここまでたどり着いた。
当時を知るからこそ、それが非常に価値のあることだと強く思う。誇らしくも思う。
あらためて、まとめる。
村山さんの「イルカと話す」研究は、1989年(平成元年)に始めたイルカの視覚についての研究から始まり、90年代なかばから後半にかけて「イルカの三段論法」に代表されるように、モノと記号との関係を順を追って理解させる認知科学的な研究にまずは到達した。この時点で、「イルカの賢さを示す研究」というふうに、世間では受け取られていたふしがある。また、村山さんは、この頃の研究で、現在の研究の相棒である、シロイルカのナックに出会っている。
そして、21世紀になって、4種類のモノ(フィン、マスク、バケツ、長靴)を、村山さんが「ナック語」と呼ぶ鳴音と、アルファベットの記号を対応させる人工言語にまで到達した。わずか4つの語彙だが、ナックは声でモノを指すことができ、モノを見るとその名を呼ぶことができる。また、対応させたアルファベットとの関係も理解している。今後、村山さんは、名詞に留まらず、動詞を教えようとしている。
これは、「イルカと話す」というテーマについて、現在のところの最高到達点だ。これまでは、研究者の「思い込み」だったり、一方通行的にイルカに指示を伝える研究しかなかったところに、客観性を備えた、双方向的なコミュニケーションを実現したのだから。
そこに、ナックが人の言葉を真似できるという事実が加わる。考え合わせると、ナックがいつか人間の言葉で、それも日本語をある程度理解して、話し始める日が来るのではないかとつい先走ってしまう。