すてきな共演者と創り上げた『組曲虐殺』(井上芳雄)
第56回
井上芳雄です。11月は『組曲虐殺』の地方公演で各地を回っています。10月に東京を終え、福岡、大阪、松本、富山、名古屋と公演が続いています。初演から10年を経て、3回目の小林多喜二を演じて、あらためて思うのは、お芝居をするうえで本当にたくさんのことを教えてくれる作品だということ。すてきな共演者の方たちから、いろんな刺激を受けています。
『組曲虐殺』は井上ひさしさんの最期の戯曲です。昭和の初め、言論統制が激しくなるなかで、弾圧と闘い続けたプロレタリア文学の作家・小林多喜二は、特高警察による拷問を受けて29歳の若さで亡くなります。その最後の2年9カ月を描くお芝居です。凄惨な話ではなく、多喜二と愛すべき仲間たちとの心の交流を描く温かい話。笑える場面も多く、音楽劇なので出演者のそれぞれが歌う場面も多々あります。
その歌ひとつ取っても、せりふの声とほとんど同じ声で歌っているので、ミュージカルの歌い方とは違います。初演のころは、それがなかなかできませんでした。せりふにしてもいろんな言い方が考えられるから、どうやるのがベストかは難しくて、毎回手探りで演じています。お芝居をするうえで、いろんなことを教えてくれる作品です。
前回までは、多喜二が拷問された後の写真を見たり、書いたものを読んだりして気持ちを作って臨み、公演が終わった後は、多喜二のことに思いをはせて、毎回のように泣いたりしていました。今回もそういう日がなくはなかったのですが、もっと多喜二との距離が縮まった気がします。舞台に行って、そのまま多喜二になれるという感覚です。それがいいのか悪いのかは分かりませんが、向き合い方はこれまでと全然違っています。
実は多喜二を演じるうえで、僕自身の解釈というのはそれほどありません。僕がどうしたいのかよりも、どういう作品で、演出家がどうやりたいか、一緒に演じている人たちが多喜二をどう感じているか、という方が重要だと思うから。
相手が芝居しやすいように演じる
お芝居の世界でよく言われるのは、相手が芝居しやすいように演じるのが演技の正解だと。今回は、それを大事にしようと思っています。それをやっていく果てに、自分の多喜二ができるんじゃないかなと。だから、多喜二は朗らかだったとか、信念があって強い人だったとか、あらかじめ決めたものを表現しようというよりは、周りの人たちによって創られる多喜二でありたい。演劇ってみんなでやるものだから。今回はそういう思いが強くなりました。
共演の方は、すてきな人ばかりです。多喜二の恋人である田口瀧子役は上白石萌音ちゃんが演じています。昨年『ナイツ・テイル-騎士物語-』で共演して以来、仲よくさせてもらっています。人柄がよくて、才能もすごい。陰ではすごく努力したり、いろんな思いを抱いていたりするかもしれないのですが、それを表に全然出さない。活動に没頭する多喜二との関係がなかなか進まないのがもどかしく、また彼の同志で身の周りの世話をしている伊藤ふじ子の存在に複雑な思いを抱いている瀧子の役と重なるような、一途なひた向きさがあって、僕はやりやすいし、いてくれるだけでうれしい気持ちになります。
多喜二と同志のふじ子を演じる神野三鈴さんは、10年前の初演で出会ってから、夫の小曽根真さんと一緒に、家族のように付き合ってくれています。芝居で本当のことを言ってくれる数少ない人です。三鈴さんは、お芝居を追求していて、経験もたくさんお持ちで、そういう目で僕の芝居を見て、いいところも悪いところも、ズバリと指摘してくれる。それで変えてやってみたら、「今日はちょっと違ったね」と気づいてくれたり。愛情深い人で、全てをさらけ出して与えてくれる、本当にありがたい存在です。
潜伏先を変えながら執筆を続ける多喜二に対して、彼の人柄に共感しながらも職務を全うして逮捕しようとする2人の刑事を演じるのが、土屋佑壱さんと山本龍二さんです。
土屋さんは今回初めてご一緒するのですが、同い年なので安心感があります。山本刑事の役は変化がある難しい役だと思うし、前回までの山崎一さんから受け継いだプレッシャーも大きいと思うのですが、ひたすらせりふを暗唱し、動きを練習しているのを見ると、本当に芝居が大好きなんだなと思いました。いつも大きい声で笑って、とても前向きなエネルギーを感じさせてくれます。
龍二さんは、昔からあまりしゃべらない方です。寡黙で多くは語らないけど、一緒にいて無言でも全然嫌じゃない。とても優しくて、僕が「ちょっと足が痛いんです」と言うと、さりげなく「筋肉をサポートするこのタイツがいいよ」と教えてくれたり。そういう人柄が、演技にもにじみ出ています。強面(こわもて)で、舞台上では怖い役ですけど、だからこそ劇中で最後の方の人間くささが出るところが、僕は大好きです。
多喜二の姉、佐藤チマ役の高畑淳子さんは、コメディーからシリアスまで振り幅がものすごい。自分のやることを黙々とやっていて、人に何かを言ったりするタイプではないのですが、舞台上で僕がせりふを言っているときはすごい眼差しで僕を見つめ続けてくれる、お芝居の巨人だなと感じています。一方で天然なところがあって、サンダル履きのまま舞台へ出ようとしたり、力の加減もあまりしないので舞台上で木の棒をバンバン叩き過ぎて、よく棒を折ったりとかも(笑)。なにごとにも一生懸命で、全力な人です。
小曽根真さんと2人で歌っている気持ち
そして、音楽とピアノ伴奏の小曽根真さん。小曽根さんはジャズ畑の人なので、伴奏もアドリブというか、芝居や歌にあわせてテンポや演奏が毎回違います。初演のときは、本当にびっくりしました。「どうやって合わせるんだ? 自分にはとてもできない」と思ったのですが、今では2人で歌っているという気持ちでやっています。とってもオープンマインドな人で、音楽に限らず僕の新しい扉をこの10年でたくさん開けてくれた、尊敬してやまない天才です。
東京の千秋楽(公演の最後の日)では、こんなことがありました。カーテンコールが鳴りやまず、最後にもう1回小曽根さんが弾いて、客席が静かになったら、どうぞみたいに僕に振られました。どうしよう……と内心思ったのですが、ピアノがジャンと鳴って、僕が「ありがとう」。そうしたら、またジャンと鳴って、「また会いましょう」。ジャラーン。これはセッションだと感じたし、とっさに小曽根さんのピアノと息をあわせたやりとりができたのもうれしくて楽しかった。
思い返すと、初演のころは、おっかなびっくりだったり、とにかく力いっぱいやっていました。でも、生きてるってことは力いっぱいだけじゃないし、1人じゃなくて、相手や周りとの関係のなかで生まれてくるものもたくさんありますよね。共演者の方たちとのお芝居や、小曽根さんとの音楽でも、そんなことが前よりも表現できていればいいなと思います。
すてきな仲間たちと創り上げてきた『組曲虐殺』。残る松本、富山、名古屋の地方公演も、精一杯演じます。
1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP)。
「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第57回は12月7日(土)の予定です。
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。