インテリアデザイナー・片山正通さん 父の店が原点
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はインテリアデザイナーの片山正通さんだ。
――ご実家は岡山市の家具店だそうですね。
「父が大学浪人中に祖父と始めた店で、現在は親戚が経営しています。地上6階建ての最上階に自宅があり、父母と僕、姉の家族4人で暮らしていました。僕は学校から帰ると、いつも店の売り場を通って家に上がるという生活でした」
――デザインの原点にはご実家の店があるのですか。
「デザインというより、商業空間の原体験ですね。店の調子がいいと家族もハッピーで、店と家庭の空気がリンクしていました。店にお客さんがたくさん来て、たくさん商品を買ってくれて、みんなが喜んでいるのが、子ども心にうれしかったです」
「そうした幸せなにぎわいのある空間を作りたいと思っています。僕のデザインの根底には芸術性ではなくビジネスがあります。自分が手掛けた店の業績が悪いと悲しくなります」
――高校卒業後にインテリアの専門学校に進んだのは、お父さまの勧めとか。
「父は僕が実家の家具店を継ぐと思っていて、『これからはリフォームの時代だからデザインの勉強をしてこい』と言ってくれました。地元の岡山には欲しい服もレコードもなくて親元を離れたかったので、これ幸いと大阪の専門学校に入りました」
「ところが自分が好きなブティックやライブハウスをインテリアデザイナーが手掛けていることを知り、学んでいることとやりたい方向が合致していることに気付きました。私が東京でデザイナーをすると言った時、父は引き留めようとしませんでした」
――その後、お父さまは「実家に戻ってこい」と言わなかったのですか。
「ずっと言っていましたが、10年前に僕がNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出てからは言わなくなりました。同窓会などで『息子は立派になった』と褒められ、自分と異なる道で一人前になったと認めてくれたようです。僕が帰ってこないと分かったとたん、黙って店を親戚に譲り引退しました。そのことは後になって母から聞かされました」
――今は応援してくれているのですか。
「僕が会社をつくる時も最初は断りながら、お金を貸してくれました。両親とも元気で、宝満宮竈門(かまど)神社(福岡県太宰府市)のお札の授与所など、僕の作品をこっそり訪れてくれています」
「さりげなく親孝行するのが最近のテーマです。(2011年に)僕が武蔵野美術大学の教授に就いたことは、大学に行きたかった父への孝行になったと思っています。年末年始には必ず帰省して、両親と一緒に過ごします。カナダに留学中の娘と高校生の息子も交えて、みんなで紅白歌合戦を見るのが楽しみです」
[日本経済新聞夕刊2019年11月12日付]
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