「早稲田大学に入学後、母校の高校に報告に行くと、女子卓球部の監督を依頼されました。進学校で万年1回戦負けチームなので、しぶしぶ引き受けたんです。しかし2年後には神奈川県で4位になるチームに育ちました。このときの学びは『人間は化ける』」

「教え方は早稲田で卓球の指導をしていた森武先生(早大名誉教授、日本卓球協会名誉顧問)に教わり、実践しました。極めてシンプルです。『技術的に弱いチームなら1にサーブ、2にレシーブ、3にスマッシュの練習だけでいい。トレーニングは必要ない』と。メンタル面では『負け癖がついているから、まず絶対勝てるチームと試合をし、その次にちょっと強いチームと、だんだん上げていけば勝ち癖がついて強くなる』。人間は勝つとうれしくなり、もっと勝ちたいと思います。彼女たちは自己練習をするようになりました。ちゃんとした教え方をすれば組織は変わると学びました」

――卒業後は三菱重工業に入社しました。

「就職希望先は製造業。父に造船所によく連れて行かれたからでしょうか、人間が造りうるいちばんでかいものを造りたいと思い、三菱を選びました。配属は発電プラントを売るセクション。中国の大連と福州に火力発電プラントを2基ずつ輸出する大きな仕事の営業を担当しました」

「あきらめちゃいけない」と、あれこれ考える

「このメーカーでの経験はLCCでも生きています。エンジニアと一緒にお客様を訪問し、脇で聞いていると、どうコストダウンするかやり取りしている。無理だろうと思っていても、やっているうちにコストが半分になったという場面を何回か経験しました。『あきらめちゃいけない』と、あれこれ考える癖が三菱の時につきましたね」

――全日本空輸(ANA)に転職後は。

「三菱重工で北京に駐在していて、もっと日中交流の促進に役立ちたいと考え、転職を決めました。人と人との交流を大事にする会社です。かつて社長を務め、日中の国交正常化にも尽くした岡崎嘉平太さんの逸話などを聞き、海外の人たちと接する軸足はまずリスペクトとコミュニケーションだと悟りました。それが今も役立っています」

ANA勤務時代、旧羽田空港ターミナルで同僚と

――人材育成についてはどのように考えていますか。

「指示待ちでなく、部下自身が自分で考える癖をつけるということですね。自分であがいて、解決方法を考えるのが大事です。行き詰まったらそこでアドバイスする。LCCは生産性を極めるモデルだと思うので、生産性、効率を考えて仕事をするよう理解しないと困ります。ラグビーの選手は試合が始まると、キャプテンがいて現場が考えますよね。いちいち監督が言わない。ああいう組織体で、それに対応する社員になってほしい」

引き抜かれた後も「戻ってきたい」と思える会社に

「社員の価値が上がれば、他社からヘッドハントされる可能性も出てきます。入社式では毎年、『自分のバリューを高めるためにピーチを利用してください。引き抜かれても本望です。引き抜かれた後も君たちが『戻ってきたい』と思える会社になるように私はがんばります』と話しています」

「就航5年目だったか、ちょっと踊り場にかかったような時期があり、社員のアイデアで『井上遣欧使節団』をやりました。徳川幕府を倒した明治政府の例にならって外に学ぼうという提案です。応募が12チーム。自分たちでつくる自分たちのための研修プログラムなんですよ。ルールがあって『必ずLCCを乗り継いでいきなさい』と。そうすると他社を学べますよね。社員の意識の向上や可能性の拡大ができたと思います」

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