健康を阻害する要因のひとつにストレスがあります。これはなかなかの難物で、「過度なストレス」は健康維持の大敵ですが、ストレスが全くないのもよくないという二面性があり、一筋縄でいきません。
「適度なストレス」は健康を維持するために必要だと思いますが、この「適度な」とは人により千差万別で、そう簡単に確定できない厄介な代物です。
ストレスにもいろいろ種類がありますが、今回は「悪口」を言う、言われるということのストレスについて考えてみます。
人は、人がいないとさみしいくせに、気に入らない人がいると悪口を言い始める、わがままな生き物です。悪口のない社会は見たことがない。なので「悪口はよくないからやめましょう」というと不自然すぎて破綻します。ではどうすればいいのか。「悪口を言わない」のではなく、「悪口の言い方を工夫する」というようにパラダイムシフトすればいいのです。
それより「悪口を言われる」ことへの対処の方が、現実問題としては重要かもしれません。職場での悪口への対処はまさに人生の縮図であり、各自知恵を絞り独自のスタイルを見つけるべきでしょう。ただその時に、「そこから逃げ出す」という選択肢を常に持つことは重要です。
ここでは悪口に対処する例として、私の作品に対するネット書評への姿勢を書いてみます。ネット書評は大絶賛もあれば酷評もある。酷評が怖くてネットのエゴサーチをしない作家もいますが、私は必ずします。褒め言葉はやる気が湧いてくるのでありがたく頂戴します。酷評には2系統あり、ひとつは感情的に気に入らないというもの。これは「お口に合わずお気の毒でした」とつぶやいて甘受します。もう一系統は「相手を貶(おとし)めることで自分を格上げする」というもの。そうした酷評はなぜか読解力不足のものが多く、その場合は「あんたが読み取れていないだけじゃないか」と言い返します。もちろんその言葉は相手に届くわけはありません。それが何になるのか? そうすれば気分が晴れます。実はそれがストレス解消には重要なのです。