田中角栄というリーダー 列島改造論に官僚は結集した元秘書官・小長啓一氏に聞く(上)

「私たちも田中さんが通産大臣時代は必要な資料を毎日、真夜中の午前0時に自宅に届けにいきました。資料をポストに入れておくと田中さんは翌日、役所に来るまでに必ず目を通しておいてくれました。必要な事実や数字がきちんと頭に入っているので私たちの資料を読んでくださったのはすぐに分かります。恐ろしいほどの勉強家だったと思います」

前人未踏、33本の議員立法

――子供のころから努力家だったと聞きましたが。

「子供のころは吃音(きつおん)で悩み、それをなおすため、学校から帰ったら山に向かって発声練習をする、風呂に入って歌謡曲を歌う、それで少しずつ吃音がなおっていったというような話をよくされていました。田中さんは高等小学校を卒業後、中央工学校で学ばれましたが、常に書物には接しておられました。学歴ではなく学力の重みを感じました」

「勉強は代議士になって以降も途絶えることはありませんでした。そうした不断の努力が33本の議員立法という記録につながったのでしょう。前人未踏の記録です。いかに大変なことだったでしょう」

小長啓一氏 1953年岡山大法文卒、通産省入省、70年企業局立地指導課長、71年田中角栄通産相秘書官、72年田中首相秘書官、82年産業政策局長、84年通産省事務次官。91年アラビア石油社長。

「一方で議員立法をつくる過程で各省庁の官僚も協力しました。田中さんも若く、一生懸命なその姿に各省庁の若手官僚も共鳴していきました。田中さんは『国を興そう』と考えておられたし若手官僚たちも『国に尽くしたい』という強い思いがありました。田中さんと若手官僚は同じ目線で目標に向かって勉強し努力し、その過程である種の同志的な結びつきが強まっていきました。そしてそれが結実したのが33本もの議員立法なんです」

構想力の賜物「日本列島改造論」

――田中角栄さんの著書『日本列島改造論』もその文脈で完成したのでしょうか。

「そうです。『日本列島改造論』はリーダーの資質として欠くことのできない『構想力』の賜物(たまもの)と言えるでしょう。『日本列島改造論』は単純な国土開発論ではありません。メインテーマは格差是正にあります。新潟のような雪深い地域で暮らす人々も東京の丸の内で働くビジネスマンも平等に医療サービスを受け健康に働くことができる日本づくりを目指す考え方は、庶民宰相である田中さんの理想の国づくりの象徴でした」

「ただ、最初に田中さんの構想を聞いた時に『大丈夫かな』と心配したのも事実です。田中さんは通産相でしたが、構想を聞いていると通産省が管轄する範囲を超えてしまいます。霞が関は縄張りにうるさいところがありますから、秘書官としては他省庁がどうでてくるか、それを一番、心配しました」

今こそ始める学び特集
ブックコーナー ビジネス書などの書評はこちら
次のページ
オール霞が関の知恵を凝集
今こそ始める学び特集
ブックコーナー ビジネス書などの書評はこちら