外国人に分かりやすい和食を なだ万、五輪への挑戦なだ万 野原優社長(下)

なだ万社長 野原優氏。ホテルニューオータニ(東京)内「紀尾井 なだ万」にて
なだ万社長 野原優氏。ホテルニューオータニ(東京)内「紀尾井 なだ万」にて

2020年に創業190周年を迎える老舗料亭なだ万。約600人もの調理スタッフを抱えるのは日本料理の世界では珍しい。海外にもレストランを6店展開、また国内では総菜店を41店舗出店する。オリンピックイヤーとなる来年には、訪日客をにらんだメニューを投入する予定だ。野原優社長にそのリーダーシップ論と内外での戦略を聞いた。(前回の記事は、「老舗はいつも新しい なだ万が描く創業190年の先」)

――野原社長は最初、アサヒビールに入社されました。

ビールがとても好きだったので、就職活動ではビール会社ばかり受けました。アサヒビールはスーパードライが出る7年前のことで業績はどん底。でも、最初に内定をくれたんです。1980年入社でその頃は、一度配属されるとほとんど担当する事業は変わらなかった。ところが私は珍しく、色々なことをやらされました。

飲食店向けの営業を15年ほどやってきたなか、西東京の小さな支社にいるとき、ワインの販促も手掛けることになりソムリエの資格を取りました。ワイン学校では社会人の仲間が多く、授業の後にみんなで飲みに行って楽しかったですね。試験に向けては、かなり暗記もする必要があったんですが、40代になってから取った資格だったので周りの人に勇気を与えたみたいで。私の後、随分シニア世代の社員がソムリエの資格を取るようになりました。

その後、十何年か家庭用の営業をして、近畿圏統括本部本部長に。もう、ビール畑からは動かないと思ったら、今度は清涼飲料水の子会社であるアサヒ飲料で仕事をすることになった。もちろん、老舗料亭なだ万の社長になるとも思っていませんでした。

――そうした中で、どのようなリーダーシップ論を育まれてきたのでしょう。

ずっと同じ仕事をしていたらその道に精通するわけですから、私のリーダーシップ論は「オレの背中を見ていろ」で終わってしまったと思います。でも、次々に新しい職場で新しい仕事を任されてきたので、自分の背中を見ろとは言えなかった。新しい職場なので、精通するどころか知識がない。だから、そうした中でも部下を引っ張っていけるよう5つの方針を決めました。

最も大切にしているのは、行く先々で分かりやすい言葉で1つのビジョンを掲げ、しつこいぐらいずっと言い続けること。そうしないと相手に伝わらないんです。アサヒ飲料にいるときは、「陣地拡大」と言い続けました。あとの4つは、ぶれない、困難から逃げない、常に明るく、謙虚であれ。これらを心に命じています。