漫画家・矢島光 会社員と二重生活、心の変調越え決意

日経doors

2019/11/10
サイバーエージェントとの二足のわらじに挑戦した漫画家・矢島光さん
サイバーエージェントとの二足のわらじに挑戦した漫画家・矢島光さん
日経doors

小学校3年生から漫画家になる夢を描き、大学生時代に本格的に始動。卒業間際で講談社の漫画雑誌『モーニング』新人賞・佳作に選ばれるも、漫画家デビューとサイバーエージェント入社が重なり、パラレルワークに突入。漫画家と会社員、やりたいことを両方やる楽しさと辛さを知った矢島さんが下した決断は……。

小3で漫画家の夢を描く 中高時代はバトン一色

漫画『彼女のいる彼氏』の作者、矢島光さんが漫画家になるという夢を描いたのは小学校3年生の時だった。幼い頃からお絵描きが大好きだった矢島さんを本気にさせたのは、漫画雑誌の『りぼん』掲載の漫画『イ・オ・ン』。

「私も(『イ・オ・ン』作者の)種村(有菜)先生みたいなきれいな絵を描けるようになりたい。漫画家になりたいな、と思って。それからは藤井(みほな)先生の『GALS!(ギャルズ)』をまねした漫画をノートに描いて友達に見せたりして、『ひかるちゃん、じょうず~』とか言われてました」

しかし、そんな漫画家に憧れた生活は小学生で一旦停止。入学した中高一貫校がバトントワリング部の強豪校で「バトンに激ハマリ」。朝から晩までバトン漬けで、絵から遠ざかった。「高校3年の12月に開催される全国大会に出場したので、デッサンもろくに練習できず美大への進学は諦めました」

「漫画家は自分のとっておきを描かないとダメ」

無事、2008年に芸術を学べる慶応大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に入学する。大学2年で漫画家の夢が再燃。「でも面白いストーリーが思い付かず……。駄作と分かっていながら集英社主催の新人漫画賞『金のティアラ大賞』に3本応募しました。結果は、一次選考通過まででした」

大学3年では自分の課題を打開するために、SFCにいた、とある先生に相談。「(漫画家は自分にとっての)一番のとっておきを描かないとダメだ」という、矢島さんにとってその後の指針にもなるアドバイスをもらう。「私にとっての『とっておき』はバトントワリング以外にあり得ない」とテーマを見定めた後は、作画に没頭した。大学4年の10月まで漫画一色。そして『モーニング』新人賞に応募した。

漫画を描くプロセスで一番苦しかった部分はと尋ねると、矢島さんは迷わず「ネーム」と言い切った。ネームとは、作品の骨格を定める設計図。コマ割りの用紙にセリフや絵の素案を描きこんでいくものだ。「ここで何を描きたいのか試される。漫画には主義・主張や、世の中に対して伝えたいことがあるべきで、それが何もないと漫画家として社会との接点を持てない」という。

身を削って描いた作品が受賞 サイバーか、漫画家か悩む

身を削って描いたそのバトン漫画が、念願かなって『モーニング』新人賞の奨励賞に選ばれた。「大学の研究室で友達と話していた時に携帯電話が鳴って、『モーニング編集部の○○です。このたび、担当につかせていただきたいと思います』と言われて『えー!! よろしくお願いします!』って」

でも、ここで矢島さんは手放しで喜んだわけではない。「漫画で食べていくことを目指すならこれがラストチャンス」と思って行動を起こしたものの、「やっぱり食べていけないかもしれない。とりあえず就活もしなくては」という直感が働き、サイバーエージェント(以下、サイバー)のフロントエンジニア職を受けて内定をもらっていたからだ。サイバーは大学2年時代にインターンも経験していた。

漫画家か、サイバー入社か。悩んだ矢島さんは、編集部とサイバーに率直に状況を説明して相談してみることに。

編集部は「サイバーに務められる漫画家はあまりいない。5年ぐらい働いて社会を見てこい」「1回サラリーマンをやって、将来、現代版・シマコー(『課長島耕作』)をやりましょう」と言ってくれた。

次に、芸大デザイン科出身でアーティストの経歴もあるサイバーのデザイナーに相談。「お金は大事。1回就職したほうがいい」というアドバイスだった。「今でも尊敬している方で、その方の言葉を聞いて『じゃ、入ります』と即刻決めました」

漫画家とサイバーエージェント社員を両立することに…