検索朝刊・夕刊LIVEMyニュース日経会社情報人事ウオッチ
NIKKEI Prime

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

検索朝刊・夕刊LIVEMyニュース日経会社情報人事ウオッチ
NIKKEI Prime

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

検索朝刊・夕刊LIVEMyニュース日経会社情報人事ウオッチ
NIKKEI Prime

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

NIKKEI Primeについて

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

/

漫画家・矢島光 会社員と二重生活、心の変調越え決意

詳しくはこちら

NIKKEI STYLE

日経doors

小学校3年生から漫画家になる夢を描き、大学生時代に本格的に始動。卒業間際で講談社の漫画雑誌『モーニング』新人賞・佳作に選ばれるも、漫画家デビューとサイバーエージェント入社が重なり、パラレルワークに突入。漫画家と会社員、やりたいことを両方やる楽しさと辛さを知った矢島さんが下した決断は……。

小3で漫画家の夢を描く 中高時代はバトン一色

漫画『彼女のいる彼氏』の作者、矢島光さんが漫画家になるという夢を描いたのは小学校3年生の時だった。幼い頃からお絵描きが大好きだった矢島さんを本気にさせたのは、漫画雑誌の『りぼん』掲載の漫画『イ・オ・ン』。

「私も(『イ・オ・ン』作者の)種村(有菜)先生みたいなきれいな絵を描けるようになりたい。漫画家になりたいな、と思って。それからは藤井(みほな)先生の『GALS!(ギャルズ)』をまねした漫画をノートに描いて友達に見せたりして、『ひかるちゃん、じょうず~』とか言われてました」

しかし、そんな漫画家に憧れた生活は小学生で一旦停止。入学した中高一貫校がバトントワリング部の強豪校で「バトンに激ハマリ」。朝から晩までバトン漬けで、絵から遠ざかった。「高校3年の12月に開催される全国大会に出場したので、デッサンもろくに練習できず美大への進学は諦めました」

「漫画家は自分のとっておきを描かないとダメ」

無事、2008年に芸術を学べる慶応大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に入学する。大学2年で漫画家の夢が再燃。「でも面白いストーリーが思い付かず……。駄作と分かっていながら集英社主催の新人漫画賞『金のティアラ大賞』に3本応募しました。結果は、一次選考通過まででした」

大学3年では自分の課題を打開するために、SFCにいた、とある先生に相談。「(漫画家は自分にとっての)一番のとっておきを描かないとダメだ」という、矢島さんにとってその後の指針にもなるアドバイスをもらう。「私にとっての『とっておき』はバトントワリング以外にあり得ない」とテーマを見定めた後は、作画に没頭した。大学4年の10月まで漫画一色。そして『モーニング』新人賞に応募した。

漫画を描くプロセスで一番苦しかった部分はと尋ねると、矢島さんは迷わず「ネーム」と言い切った。ネームとは、作品の骨格を定める設計図。コマ割りの用紙にセリフや絵の素案を描きこんでいくものだ。「ここで何を描きたいのか試される。漫画には主義・主張や、世の中に対して伝えたいことがあるべきで、それが何もないと漫画家として社会との接点を持てない」という。

身を削って描いた作品が受賞 サイバーか、漫画家か悩む

身を削って描いたそのバトン漫画が、念願かなって『モーニング』新人賞の奨励賞に選ばれた。「大学の研究室で友達と話していた時に携帯電話が鳴って、『モーニング編集部の○○です。このたび、担当につかせていただきたいと思います』と言われて『えー!! よろしくお願いします!』って」

でも、ここで矢島さんは手放しで喜んだわけではない。「漫画で食べていくことを目指すならこれがラストチャンス」と思って行動を起こしたものの、「やっぱり食べていけないかもしれない。とりあえず就活もしなくては」という直感が働き、サイバーエージェント(以下、サイバー)のフロントエンジニア職を受けて内定をもらっていたからだ。サイバーは大学2年時代にインターンも経験していた。

漫画家か、サイバー入社か。悩んだ矢島さんは、編集部とサイバーに率直に状況を説明して相談してみることに。

編集部は「サイバーに務められる漫画家はあまりいない。5年ぐらい働いて社会を見てこい」「1回サラリーマンをやって、将来、現代版・シマコー(『課長島耕作』)をやりましょう」と言ってくれた。

次に、芸大デザイン科出身でアーティストの経歴もあるサイバーのデザイナーに相談。「お金は大事。1回就職したほうがいい」というアドバイスだった。「今でも尊敬している方で、その方の言葉を聞いて『じゃ、入ります』と即刻決めました」

「誰も新人のバトンの漫画なんて読まない」

そして3月、友達が皆、卒業旅行に行く中、一人東京に残って祝賀会に出席。祝賀会には、受賞の連絡を受けた1月から描いていた新作を持参し、編集長に渡した。懲りもせず、バトンをテーマにした作品だった。

会場にいた漫画家の東村アキコ氏からの助言が刺さった。「誰も新人のバトンの漫画なんて読まない。漫画家が何を描きたいかって、読者には関係ない。あなたはオフィス・ラブコメ。とにかく読者のことだけ考えて描く!!!!! バトン漫画は売れてから!!!」

帰りのタクシーで、祝賀会で言われた内容を編集担当者に伝えると、「プロの作家さんにそれほどのアドバイスをもらえることはあまりない。よかったね」と言われたそう。「私の漫画の特徴は、明るくてさらっとした読み味。だから、そこを生かして青年誌で王道の絵柄とストーリー、明るい作風。これを売りに、オフィス・ラブコメを描こう、と方向性が決まりました」

4月以降、多忙な日々が始まった。サイバーでの会社員生活と漫画家のパラレルワーク。朝8時から9時半まで会社近くで朝食ビュッフェを食べつつ編集担当者と隔週ミーティング。ストーリーが固まると作画に移り、毎朝6時から3時間漫画を描いて出社。22時に退社して、そこから深夜2時まで家で漫画を描くという4時間睡眠生活を続けた。それなのにこの時描いた漫画はボツになった。「当時の私は遊ぶことを全く知らなかったから、ただのマジメなお仕事ものになってしまった」

仕事と漫画に全力投球して消耗、半年休職

そして、仕事にも漫画にも全力投球を続けた結果、体調を崩し、入社2年目の6月から12月まで休職することになる。「半年間、都内の実家に帰って母が作ったごはんを食べてゆっくりしていました。サイバーでは、休職中も6割ぐらい給与が出るんです。本当にいい会社でした」

その休職中、思いがけずいくつかの恋愛をした。中でも印象的だった人の話をしてくれた。

「大学時代の友達と久しぶりに数人で飲むことになって。そうしたら、そのうちの1人が私を気に入ったみたいで2人で遊ぶようになりました。でも彼には私のほかに『彼女』がいたんです。いや、それどころかもっといたな(笑)。私が『今メンタルの調子悪いんだ』って言うと、『大丈夫。俺そういうの慣れてるから!』って笑顔で言っちゃうタイプ。スカッとしてて、好きになっちゃったんですよ。そんなんで好きになるとか、病んでた証拠ですよね(笑)」

その時期に、漫画に関する運命的な出会いもあった。人から誘われて出席した集英社のパーティーで、漫画『キングダム』作者、原泰久氏とすれ違ったのだ。「原先生も元会社員でエンジニアだったので、あろうことかミーハー心で『会社員から漫画家になるにはどうしたらいいですか?』とずうずうしくも質問し、さらに握手までしてもらいました」

原さんの返答は「30歳までにヤンジャン(集英社の『週刊ヤングジャンプ』)に載ればいいのでは?」。この言葉が、後から効いてくることになる。

幸運にもサイバーに復帰できたものの…

半年間の療養のあと、幸運にも矢島さんはサイバーに復帰することができた。と同時に、漫画はもうやめようと思った。「サイバーで、世に物を出すときのクオリティーのレベルを学びました。仕事も漫画も、高レベルなアウトプットで両立しようとすると、どちらも中途半端になって、会社にも編集部にも迷惑を掛けてしまうと思った」

でも、一度やめたと思っても、つい描いてしまう。家に帰って……、暇なときに……、「つい絵を描いちゃう」。いわゆる創作意欲が湧き出してしまったのだ。そして、入社2年目の2月、サイバーを辞め、漫画に集中することを決断した。

代表作『彼女のいる彼氏』が誕生 「私、最強だ」

その直後、新潮社のウェブマガジン『ROLA(ローラ)』(現在は休刊)での連載が決まる。「まだサイバーにいたころ、このメディアに漫画を描けないかな、と思って売り込みに行ったら『サイバーなの?』と面白がってもらえて」。「ネームを描いてきて」と言われたのが1月。ROLAの編集長と飲みに行って、当時はもう関係が切れていた(私の他に彼女がいる)彼氏の話をしたら「それじゃない?」と言われ、それをテーマにした漫画を描くことに決定。1話目のネームを半日で描き上げた。

「そこの編集担当者がすごく仕事ができる方で。『矢島さんを育ててスターダムにのし上げる』と言い切ってくれた。新潮社のファッション雑誌『ニコラ』の元編集長で、若い女の子を育てたいという思いを持っている人でした」。そして、その言葉通り、キャラの見せ方、ストーリー展開など、漫画のすべてを教えてくれた。そして生まれたのが、矢島さんの代表作『彼女のいる彼氏』だ。

この連載を2年間、休載なく続けられたことが、かなりの自信になった。

そのタイミングで、集英社のWEBコミックサイト『ふんわりジャンプ』(現在は休刊)からのオファーが舞い込んでくる。「"ジャンプ"と名のつく媒体であることに気持ちが高まり、勢いでバトントワリングを題材にしたネームを半日で描き上げました。だけど『ふんわりジャンプ』は主にエッセーが掲載されている媒体で、スポーツ漫画は求められておらず、もちろんボツになりました」

その時、担当編集者の嗅覚が働いた。ネームをヤングジャンプ編集部へ持っていったのだ。あれよあれよという間に『ミラクルジャンプ』(ヤングジャンプの増刊)での掲載が決まったが、その準備期間中に『ミラクルジャンプ』が休刊に。思いがけず、キングダムの原氏から助言されてからずっと頭にあった『週刊ヤングジャンプ』での連載が実現することに。

「あのときは、面白いネームを短期間で描くこともできて、私、最強だなって思ってました」

しかし、編集部から「ヤンジャンで戦っていくために『顔』の画力を上げてください」とのお達しがあり、漫画『潔癖男子!青山くん』作者の坂本拓さんのもとに週2回通い、アシスタントをしながら、原稿を見てもらった。模写をしたり、ガイコツをいっぱい描いたり。ガイコツを描くのは「骨格の中の適正な位置にパーツを描く練習」だそうだ。半年後、満を持して、ヤンジャン連載がスタート。「原先生から言われた通り、30歳になる1週間前に第1話が掲載されて」――順風満帆……のはずだった。

攻めの姿勢では描けなくなっていた

2018年1月。攻めの姿勢では描けなくなっていた。

「色々重なったんです」

連載開始前の1年間、矢島さんはすっかり気が抜けてしまっていた。「ビッグタイトルでの掲載に挑戦する恐怖が大きかった。『絶対滑ると分かっている芸』をしなくてはいけないと弱気になっていました。だったらその不安を解消するために手を動かせばいいだけの話なのに、連載陣のあまりの迫力に、逆に縮こまってしまったんです。どんどん悪循環に陥って、まずは体重がガンガン減って……今より12キロくらい細かったかな(笑)。徐々に頭が働かなくなりました」

第3話までは順調にネームが描けていたが、ネームはおろか自分の言葉も出づらく、描くことが全くできなくなっていた。

「今だから思えることですけど、新連載って、根拠のない自信や、『新たな物語を始めていくんだ』っていう希望、そしてそれと相反する少しの不安を持って勢いよく始めるのがベストだと思うんですよね。たとえ体は疲れてても、心の動きは激しくあるべきというか。でも、当時の私はその真逆でした。体力も精神力も全部そがれた状態でのスタートだった。漫画は感情を描く作業。健全な精神力、体力なく、思考が停止している状態で、登場人物の心理描写なんてできるわけなかったんです。そんな最悪の状態になる前に、何か打つ手はなかったのかなって、今でも思い返すとまだ消化しきれない思いでいっぱいになります。ずっと伴走してくれてた担当さんにも申し訳なくて」――。

取材中、涙が矢島さんの頬を伝った。編集部との当初の約束だった10話まで死に物狂いで描き切ったが、その後、精神的な部分から来る体調不良と、後悔と挫折感がひたすら彼女を襲った 。

「連載終わってからも大変で、毎晩悪夢にうなされて睡眠薬なしでは寝られない状態でした。もう漫画を描くのは無理だと思って転職サイトに登録しましたよ(笑)」

そんな折、今年ヤングジャンプ新年会で原氏に再会した。「大御所の先生方や、何人もの編集者さんに囲まれていらっしゃったけど、隙をついてお声がけしました。『バトンの星』を描いていた矢島です、って」

原氏はこう答えたという。

「読んでたよ! 3話まで面白かった。久々のヒット作が来たと思ったんだけどね。才能あるよ。描き続けたほうがいい」

読者に愛される連載作品を描く

約5カ月後、そんな精神的な不調から抜け出して、今に至る。

また新しい漫画が描けそうなチャンスも近づいてきている。

「新年会で原先生とこんなやりとりをしました。『今何歳?』『30歳です』『そうか、まだ全然描けるね』って。実は私、気にしてたんです。女だし、もう30過ぎちゃったしって。普通に結婚を急かされるし、編集さんからもその辺心配されることが多々ありました。でも、原先生は、男とか女とか関係ない次元で、漫画家としての私を見てくれた。うれしかった。またいつか原先生とお会いしたときに、強い作家になっていたい。そのためには、読者に愛される作品を連載で描くしかありません。もう迷っている場合ではないんです」

常にエンジンを120%吹かして、つい無理をしてしまう。そんな超のつく頑張り屋の矢島さんが、今後、生み出す作品はどんなものだろう。一読者として、読みたい気持ちでいっぱいになった。

矢島光
漫画家。1988年東京都生まれ。 大学卒業後、サイバーエージェントに入社し、フロントエンジニアとしてアメーバピグの運営に携わる。2015年に退職し、専業漫画家に。 著書に漫画『彼女のいる彼氏』『バトンの星』など。

(取材・文 小田舞子=日経doors編集部、写真 花井智子)

[日経doors 2019年6月6日付の掲載記事を基に再構成]

春割ですべての記事が読み放題
有料会員が2カ月無料

有料会員限定
キーワード登録であなたの
重要なニュースを
ハイライト
登録したキーワードに該当する記事が紙面ビューアー上で赤い線に囲まれて表示されている画面例
日経電子版 紙面ビューアー

働く女性を応援する日経の転職サイト「日経WOMANキャリア」

□女性管理職求人
□バックオフィス求人
□企画/広報求人
…など常時30,000件以上を掲載!

>> 詳しくはこちら

「日経WOMANキャリア」は、大手転職サイト・人材紹介会社の女性向け求人を集めた総合転職サイトです。

詳しくはこちら

ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。

関連企業・業界

セレクション

トレンドウオッチ

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
春割で無料体験するログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
春割で無料体験するログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
春割で無料体験するログイン
図表を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した図表はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
春割で無料体験するログイン

権限不足のため、フォローできません

ニュースレターを登録すると続きが読めます(無料)

ご登録いただいたメールアドレス宛てにニュースレターの配信と日経電子版のキャンペーン情報などをお送りします(登録後の配信解除も可能です)。これらメール配信の目的に限りメールアドレスを利用します。日経IDなどその他のサービスに自動で登録されることはありません。

ご登録ありがとうございました。

入力いただいたメールアドレスにメールを送付しました。メールのリンクをクリックすると記事全文をお読みいただけます。

登録できませんでした。

エラーが発生し、登録できませんでした。

登録できませんでした。

ニュースレターの登録に失敗しました。ご覧頂いている記事は、対象外になっています。

登録済みです。

入力いただきましたメールアドレスは既に登録済みとなっております。ニュースレターの配信をお待ち下さい。

_

_

_