大虐殺がきっかけに ルワンダは今や女性活躍先進国

日経ナショナル ジオグラフィック社

2019/11/3
ナショナルジオグラフィック日本版

2003年以降、ルワンダの憲法では国会議席数の3割以上を女性に割り当てるよう定めている。現在、女性議員は49人で全体の61%を占める。この写真には、そのうちの33人が写っている(PHOTOGRAPH BY YAGAZIE EMEZI)

下院の約6割が女性、7人の最高裁判事のうち4人が女性という国がある。アフリカのルワンダだ。女性たちは、悲劇が生んだ必要性から思いがけないチャンスを手にした。ナショナル ジオグラフィック2019年11月号では、ルワンダで女性が活躍するようになった背景と、今後の課題に焦点を当てている。

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1994年、ルワンダ大統領だったジュベナール・ハビャリマナとブルンジ大統領だったシプリアン・ンタリャミラを乗せた飛行機が撃墜され、二人は死亡した。このことが、約100日間続いた大虐殺の引き金となった。

ハビャリマナ大統領はルワンダの人口の約85%を占める民族フツの出身だった。フツの過激派は、飛行機を撃墜したのは少数派民族ツチだと非難し、以前から緊張状態にあった両民族の間で壮絶な殺し合いに発展した。この大虐殺で、100万人近いツチと、数千人のフツが命を落としたとされている。性暴力の被害者となった女性は少なくとも25万人、孤児となった子どもは9万5000人を超すといわれる。やがて紛争が終わると、生き残った約600万人の大半が女性だった。

人権問題を扱う弁護士のアリス・ウルサロ・カレケジも、その凄惨な日々を記憶している。当時は、ルワンダがこの先どう進んでいくのか、将来が見通せない状況だったという。彼女は性暴力を戦争犯罪として裁けるよう尽力し、1997年に初めての有罪判決を勝ち取った。また1999年には、「紛争管理センター」を共同設立した。

「死者の大半が男性、逃亡者の大半が男性、囚人の大半が男性という状況でした。誰が国を動かせばよいのでしょう?」とカレケジは話す。

紛争の後、人口の8割を占めていた女性たちは、必要性と現実に迫られ、国の指導部に生まれた空席を埋めていくことになる。そして、女性のためのNGOの支援を受け、世界で最も女性に配慮した政策が策定されていった。

1999年には、相続に関する長年の因習を覆した。遺言がなくても女性の相続が認められるようになり、かつては兄や弟に相続権を独占されていた地方の女性たちも、地主になれるようになった。また、女性も土地を担保に融資を受けられるようになった。教育面でも待遇が改善され、大学に進学する女子が増加。従来は男性の領域となっていた分野にも女性が参入できるよう、奨励策が設けられた。

こうしてルワンダは、2003年以来ずっと、世界で最も女性国会議員の比率が高い国となっている(現在は下院の約6割が女性)。また、7人の最高裁判事のうち、副裁判長を含む4人が女性だ。

ところで、ルワンダには、植民地化される前の時代に、女性が意思決定において果たしていた伝統的な役割を考慮した面があった。かつて、国王の相談役はその母親であり、農村では男性たちが放牧で留守にする間、村の人々をまとめていたのは女性たちだったのだ。

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