老後のお金の不安 ショーペンハウアーならこう考える
プラトン、ニーチェ、ショーペンハウアー・・・・・・。名前を聞いただけで、頭痛が起きそうな大物哲学者たち。でも、哲学は今や働く女性の必須教養です。古今東西の哲学者が人生をかけて導き出した哲学を応用すれば、思考のショートカットになり、生きやすくなること間違いなし! では、働く女性の悩みを大物哲学者に相談するとどうなる? 山口大学教授の小川仁志さんが、歴史上の哲学者になりきってズバリ回答。ショーペンハウアーが「老後のお金不安」に対して、「諦めること」の効用を説きます。
人生100年時代と言われています。老後に特別ぜいたくな暮らしをしたいと思っているわけではなく、ほどほどの生活レベルが保てれば十分なのですが、定年後にまだ30年近く生きることを考えると、経済的にやっていけるのか……どうしても不安になります。
人生100年時代。60~65歳の定年まで頑張って働いたとしても、多くの人に定年後の時間が30年近く、あるいはそれ以上あると考えると、確かに長く感じるでしょう。
相談者は「特別ぜいたくをしたいわけではない」と言いますが、果たして「まあまあの生活レベル」とは、どのくらいの暮らしを想定しているのでしょう。
「人間の欲望は際限がない」というのがショーペンハウアーの洞察です。そのせいで人生が苦痛になっているというのです。貯蓄が5000万円あれば「1億円欲しい」と思い、1億円あれば「3億円ぐらいは欲しい」と思う。まさに「人は満足するたびに新しい願望を生み出していく。欲求は永遠に満たされぬまま、果てしなく続いていく」のです。
ショーペンハウアー(1788~1860)
ドイツの哲学者。裕福な商人の家庭に生まれ、フランス、イギリスを旅して回った。父の死後、大学で哲学を学び、1819年に『意志と表象としての世界』を出版。ベルリン大学で講師となったが間もなく退職。フランクフルトに移り住み、愛犬と共に暮らして72歳で生涯を閉じた。主著に『意志と表象としての世界』のほか『幸福論』など。
「富は海水に似ている」の真意とは?
お金をためること自体が好きだという人もいるでしょう。しかし、それをいつどう使いたいのかという目的がないのだとしたら、ためてもためても満足することがない。むしろ、そのせいで人生が苦しくなっているかもしれません。
ショーペンハウアーは、「富は海水に似ている。飲めば飲むほどのどが渇く」と『幸福論』に書いています。富を求めてもいい、しかし、求めるほど渇望感が増し、苦しくなるだけだよというのです。
利他主義でも苦しみからは開放されない
では、求めてしまう苦しみから逃れるためにはどうしたらいいのでしょうか。
その方法としてショーペンハウアーは、芸術に触れることのよさを挙げています。特に高く評価したのが音楽です。音楽は人の心の奥底に語り掛け、繰り返し聞いても心地よい。芸術で心安らかになれれば、人生が豊かになります。しかし、芸術による苦悩からの解脱すら一時的なもの。ごまかしにすぎない、ともショーペンハウアーは言うのです。
自分の欲望にとらわれて苦しむなら、利己主義の対極にある利他主義になって、人のことばかりを考えたらどうでしょうか。残念ながらそれも、他者に対してできる限りのことをするだけであって、一時的なもので欲望の苦しみから解放されることにはなりません。
「積極的な諦め」で、今追うべきものに気持ちを向かわせる
では、いったいどうすればいいのか。ショーペンハウアーは「諦めたほうが幸せになれるよ」というのです。
実は彼自身「諦めること」で、幸せをつかんだ人物です。30代でベルリン大学の講師になったショーペンハウアーは、当時、大人気のベルリン大学教授・ヘーゲル(ドイツ観念論の大成者)と勝負をしようと、同じ時間に講義を持ったのですが、学生たちはみなヘーゲルの講義に行ってしまいます。当時は、講義に出た学生がお金を払っていたので、受講者が集まらなければ収入も得られません。失意の彼は戦い続けるのではなく、諦めて大学を去る道を選んだのです。
それでも、晩年は学者として活躍し、その後、哲学者のニーチェらに多大な影響を与えているのです。
諦めることで、何かを失うわけではありません。ショーペンハウアーが説く諦めは、よりよい人生を送るための積極的なもの。金銭欲という際限のない苦しさに拘泥せずに、諦めて次のステージに向かえばいいのです。彼はこう指摘しています。
「富は我々の幸福にはほとんど何の寄与するところもない」
「金銭は人間の抽象的な幸福である。だから、もはや具体的に幸福を享楽する能力がなくなった人は、その心を全部金銭にかけるのだ」
世界は、自分自身の主観が描いたもの=表象にすぎない。無意識的なものだからこそ、際限なく生じ、欲求は満たされず苦痛に満ちている。苦悩から解放されるためには、意志を否定し固執を消し去るしかない。仏教的な諦念こそ究極の目標であり世界からの解脱であるとした。
お金を欲しがる理由は、他に幸せがないから?
やりたいことが具体的にあれば、人間はそのやりたいことを追い求めているはず。つまり、「お金を求めている人は、他に何も幸せになれるものがないからだ」ということを言っているのです。
人生というのはその日を生きることです。人間はその日を生きるようにしかできていないからこそ、過去のことを思えば後悔するし、将来のことを考えれば不安になる。
しかし、これまでに無駄遣いしたお金やきちんと貯蓄してこなかったことを悔い、何歳まで生きるか分からない将来を気にして心配しても、きりがありません。それよりも、今のことを考えればいい。つまり「目の前にある具体的なもの」を追うことこそ、最も幸せに生きられる方法なのです。
本紹介 もっとショーペンハウアー!
『幸福について』(講談社まんが学術文庫)
ショーペンハウアー (原著)、Team バンミカス (著)、伊佐義勇 (著)
17歳で父親を亡くし、母親に捨てられるという不遇な青年期を過ごし、学者としても認められず63歳まで無名で過ごしながらも「幸福になれる」としたショーペンハウアー。彼の人生に結び付け、著作『幸福について』をまんが化して紹介。「人間が幸福になることは難しい。しかし、できる限り楽しく生きる術はある」など、生涯を通じて思索を続けた幸福についての名言がちりばめられている。
(取材・文 中城邦子、イラスト 鈴木衣津子、写真 鈴木愛子)
山口大学国際総合科学部准教授。1970年、京都府生まれ。京都大学法学部卒業。名古屋市立大学大学院で博士号(人間文化)取得。教壇に立つ傍ら地域で「哲学カフェ」を主宰し、TVなどメディアでも活躍。NHK Eテレ「世界の哲学者に人生相談」では指南役を務めた。著書に『これからの働き方を哲学する』(リベラル社)など多数。
[日経ARIA 2019年7月4日付の掲載記事を基に再構成]
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