おっといけない、ついうっかりラグビージャージーのことを「ラグジャ」と言ってしまった。筆者が昭和の元ラガーマンというのがバレてしまう。

■ファッションも昭和のラグジャブームとは別物に

実はラグビージャージーの下にBDシャツを重ね着する着こなしは、80年代の第1次プレッピーブームの頃にもはやった。当時「オフィシャルプレッピーハンドブック」という本がアメリカで発売されて、それで紹介されていた着こなしだ。本国ではプレッピーをちゃかしたおバカ本だったのだが、真面目な日本ではガチで着こなしの教科書として伝わってしまい、正しいプレッピーファッションとして流行したのである。

ラグビーW杯日本大会の開幕100日前を祝うイベントで記念写真に納まる五郎丸歩選手(右)(19年6月12日、東京都千代田区)

最初のラグビージャージーブームは1970年代後半に「ポパイ」の創刊号が出た時である。松山猛氏が西海岸のUCLAを取材してその時に向こうの学生がみんな着ていたのが、最初のブームの火付け役だ。

さらにイラスレーターの小林泰彦氏が「メンズクラブ」で、ラグジャにコーデュロイのブッシュパンツにワークブーツでワッチキャップという「ヘビーデューティーアイビー」略してヘビアイを提案して、ラグジャは大ブームになった。あ、この時ですね、ラグジャと呼ぶようになったのは。当時はマウンテンパーカーも「マウンパ」と何でも略して呼んでいたのだよ。

その後も、ラグビージャージーは90年代に渋谷の「ラブラドールリトリーバー」がカナダの「バーバリアン」に別注して、プレッピーではなくアメカジアイテムとして返り咲く。ちょうど今の30代後半から40代前半の世代は、このへんのラグジャ世代だろう。

いずれにしても、ラグビー日本代表も五郎丸歩の今どきプレッピースタイルも、昭和のそれとはまったくの別物である。サラサラのロン毛に口ひげをたくわえたダンディーな松尾雄二や平尾誠二の時代と違って、刈り上げに顎(あご)ひげのラガーメンたちが活躍する令和の日本ラグビーは世界と戦える強さなのだ。4年後のワールドカップが楽しみである。

いで あつし
1961年静岡生まれ。コピーライターとしてパルコ、西武などの広告を手掛ける。雑誌「ポパイ」にエディターとして参加。大のアメカジ通として知られライター、コラムニストとしてメンズファッション誌、TV誌、新聞などで執筆。「ビギン」、「MEN’S EX」、JR東海道新幹線グリーン車内誌「ひととき」で連載コラムを持つ。

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