結婚を機に日本へ帰国、「日本の役に立ちたい」との愛国心も

――ボストンやニューヨークでの音楽生活はいかがでしたか。

米A.T.カーニーに移籍し、ニューヨークに勤務していた頃(1999年、ハドソン川を背景に)

「ロックではなく、クラシックやジャズを聴いていました。ボストン交響楽団にはよく行きましたし、ニューヨークでは自宅に近いカーネギーホールの定期会員になり、月に何回かは足を運んでいました。ジャズクラブにも通いましたね。ニューヨークは音楽好きには天国でした」

――1999年に日本法人に転勤になります。自分から希望したんですか。

「米国で永住権を取得することも考えたんですが、日本人女性と結婚することになったので日本に帰国します。ちょうど日本経済がヨタヨタしていた時期で、日本のために何か役に立ちたいという気持ちもありました。僕はもともと反逆児で反体制気質ですが、海外に出て自分のアイデンティティーを意識するうちに、自然に愛国心のような気持ちが芽生えていました」

クールジャパンの着想、料亭「菊乃井」主人との会話が発端

――クールジャパン戦略はどういう経緯で着想したんですか。

「それまで国内企業の経営戦略や組織改革を支援していましたが、国家戦略について政府に働きかけたのはクールジャパンが最初です。きっかけは2008年に京都の料亭、菊乃井のご主人の村田吉弘さんにお会いし、日本料理界で後継者問題が深刻だという話を聞いたこと。社内の仲間に声をかけ、日本食文化を危機から救い、産業として世界で発展させるための方策をまとめて自民党に提案したんです。政権交代が起き、一時、提案は宙に浮きますが、その後、経済産業省幹部から改めて連絡をいただき、政府のクールジャパン戦略として動き出しました」

日本食文化の危機を救い、世界で発展させるための方策を提言。クールジャパン戦略が動き出した

「国家戦略は成功すればインパクトは大きいですが、プレーヤーが多いし、政府がリーダーシップを発揮するのもなかなか難しい。成果につながる時間軸も長くなります。だからポテンシャルは大きいが、歩留まりとしてはあまり高くない。初年度はA.T.カーニーとして受託しますが、次年度以降はほぼ手弁当でお手伝いしています」

――2007年にA.T.カーニー日本法人社長、14年に会長に就任しました。

「06年に『次の社長は君だ』と前任者に言われ、『無理です。向いていません』と一度はお断りしたんです。人を管理するのが得意でないし、興味もなかったので……。だから社長時代は組織管理が得意な同僚になるべく任せるようにしていました。時間の3割を社長業、7割をコンサルティングに使うという感じです。ただ、リーマン危機や東日本大震災が起きても年平均で数%の規模拡大は持続できたので、社長としての合格点はもらえるかなとは思っています」

管理職には向いていない自分、4つのバンドで活動している感覚

――自分はどんな人間だと自己分析していますか。

DJとしても活動する(2019年6月、東京・銀座のPLUSTOKYOで)

「好きなこと、面白いことを常に追いかけてきました。将来のビジョンに向かって一直線でなく、道草だらけの人生だったと思います。音楽の道は諦めましたが、どこか未練があるのかもしれません。最近、DJとしてクラブやイベントで活動しているのはそのためでしょう」

「現在、取り組んでいるのが(1)A.T.カーニー、(2)クールジャパン戦略、(3)五輪後の東京の街づくりを考える『NEXTOKYO』や『ナイトタイムエコノミー』、(4)スタートアップの集積をつくる『CICJapan』――。個性の違う4つのバンドを掛け持ちしているような感覚です。今後は100歳まで現役で働きたいし、だいぶ先になりそうですが、ジャズ小屋のオヤジもやってみたい。そんな夢もひそかに温めています……」

(聞き手は編集委員 小林明)

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