女性議員巡る容姿偏向報道 政策や政治的態度伝えて
ダイバーシティ進化論(水無田気流)
9月に発足した第4次安倍再改造内閣で、政務官に抜てきされた今井絵理子参院議員をめぐる一部報道には嘆息させられた。たとえば今井議員が台風15号で被害にあった地域を視察した際の様子を報道したネットジャーナルの記事では、短時間・形ばかりの視察ではないかと報じた。むろんこの点は批判されてしかるべきだが、問題は「金髪に近い茶髪」「化粧はバッチリ」「ギャル」等、容姿に関する揶揄(やゆ)的な記述が視察行動の内実を大幅に上回っていた点だ。
これまでメディアとジェンダー研究の立場からは活字メディア、とりわけニュース報道で女性を記述する手法が男性のそれとは異なっている点が指摘されてきた。社会学者の田中和子は(1)報道対象者が男性である場合、職業名に男性であることが明示されることはまれだが、女性は「女性社員、女性教師、女子大学生」等くどいまでに冠語として使用される(2)「女性は美醜、男性は業績」が強調される――といった点を指摘する。
さすがに新聞でこの傾向は減少傾向にあるが、読者の「感情」に訴える要素の強い週刊誌などでは、今なお「女性ばかりが容姿をことさらに強調される」ことは珍しくない。とりわけ旧来女性が少なかった分野に就く女性に対して使用される傾向が強く、この国の「女性活躍」の困難を思う。
政治家が女性の場合は「美人市長」「美人議員」等の語が冠されたり、服装や髪形など容貌の特徴が盛んに記述される傾向が強い。犯罪の容疑者も、男性ならことさら容貌は記述されないが、女性は連行される際の服装や勾留されて化粧が薄くなった様子など、外見を書き立てられる傾向がある。背景には「読者は報道対象者が女性なら、その業績や行動よりも容姿に興味を引かれるはず」との、メディアの無意識な「男目線」がある。これは「ルッキズム(容姿による差別)」にも通じる問題である。
何よりこのような報道姿勢は「結局のところ女性は業績よりも容姿が重要」とのメッセージを社会に打ち出すことに寄与してしまう点が問題だ。ただでさえ女性議員割合の低い日本で、メディアがこの旧弊を払拭できなければ、「政治のダイバーシティ」など絵に描いた餅ではないのか。議員の性別による容姿偏向報道を脱し、政策志向や政治的態度の詳解記事が当然視される社会を、心より望む。
1970年生まれ。詩人。中原中也賞を受賞。「『居場所』のない男、『時間』がない女」(日本経済新聞出版社)を執筆し社会学者としても活躍。1児の母。
[日本経済新聞朝刊2019年10月14日付]
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