すごい男の「日暮れて道遠し」 史記が描く充実の生涯司馬遷「史記」研究家・書家 吉岡和夫さん

宿願成就のすさまじい瞬間
伍子胥は呉の王族の光(こう)と知り合いになって、王の僚(りょう)と微妙な関係にあった光を王位に就けるべく暗躍します。光は酒席に招いた王を、伍子胥が推薦した刺客を使って殺害し、自ら王位に就きました。呉王闔閭(こうりょ)です。
イラスト・青柳ちか
伍子胥の最大の宿願は楚を破り、平王に復讐することでした。呉は新興の小国、越(えつ)に悩まされていて、楚への進攻は後回しになっていましたが、闔閭が王になってから9年を経て、ようやく伍子胥は兵法家の孫武(孫子)と共に楚を破って、都に入ります。父と兄が殺されてから17年が過ぎ、すでに平王はこの世にはいません。しかし伍子胥は平王の墓を暴き、その屍(しかばね)を引きずり出すと「これに鞭(むち)打つこと三百」と史記は伝えています。「死屍(しし)に鞭打つ」というのは残虐で、心ない行為といわれます。その復讐のあまりのすさまじさに、伍子胥の親友で、楚の家臣だった申包胥(しんほうしょ)は使者を出して「天道に悖(もと)る」と批判します。伍子胥は答えました。
 われ、日暮れて塗(みち)遠し。われ、故に倒行(とうこう)してこれを逆施(ぎゃくし)するのみ
自分は長い年月を費やしてしまった。それなのに志には遠く及ばぬままだった。その積年の願いが成就したことで、自分は逆上してしまい、天道に従うどころではなかったのだ――。復讐の鬼のような伍子胥は、そう口にして開き直ります。それほどの瞬間でした。

伍子胥の原動力は「怒り」のエネルギーであったと思われます。大事をやり抜くのに怒りが大きなエネルギーになることは、読者にも経験があると思います。

伍子胥は闔閭が越との戦いで負傷して死ぬと、王位を継いだ夫差(ふさ)に仕えます。しかし見えっぱりで覇者に憧れる夫差は、表向き従順な態度をみせる越に油断し、越への早期進攻を訴える伍子胥を遠ざけ、最後は自害を命じました。

伍子胥を失った呉は、後に越に敗れ、夫差は伍子胥の正しかったことに気づきます。越王勾践(こうせん)は夫差を許そうとしますが、夫差は「私は老いた。これから君王に仕えることはできない」と辞退し、伍子胥に会わせる顔がないからと、馬の皮の袋をかぶって入水したといいます。

伍子胥の生涯はあまりに凄惨なものでした。すべては彼にとっての「大義」である復讐のためであり、それを果たしさえすれば、あとは何も要らないと思っていたかもしれません。逃亡先の呉で手段を選ばずに出世したのも、楚への復讐を果たすためでした。もともと名門に生まれ、いつも要職にあった伍子胥には、単に出世したいという感覚はなかったと思います。復讐劇に対して語弊があるかと思いますが、これもまた充実の生涯だったと思うのです。

例えば、銀行マンが「志」や「大義」を考えるなら、それは「だれのための銀行か」を考えることになります。私は顧客の損を少しでも減らすため、焦げついた債権の回収に黙々と没頭した時期があります。「銀行がもうかればいい。そうでないことはしなくていい」といった風潮が広がっていた時代です。実際に私も「大した利益にならないからやめておけ」と言われ、バカだと見られていることも自覚していたのですが、その頃を振り返ってみると、日々充実し、決して悪い思い出とは言えないのです。

司馬遷は「伍子胥列伝」の末尾で、まず何よりも人の恨みを買うことの恐ろしさを指摘することを忘れません。そして、その上で伍子胥に同情を寄せます。父と一緒に死ぬことをあえて選ばず、多くの苦難にあいながら、いっときも志を忘れなかったからこそ、耐え忍んで後世に名を残すことができたと高く評価しています。さらに書き添えた次の一文に司馬遷の思い入れがにじみます。「烈丈夫に非(あら)ずんば、たれかよくこれを致さん(すごい男でなかったら、これほど困難なことをなし遂げることはできまい)」

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吉岡和夫
1939年(昭和14年)千葉県生まれ。横浜国大経済卒。東海銀行(現在の三菱UFJ銀行)に30年間勤務。書家の古谷蒼韻氏に師事。雅号は「泰山」。中国「司馬遷史記博物館」(2016年開館)の顧問も務める。著書に『史記を書く』(1996年)、『毒舌と名言の人間学』(2005年)など。名古屋市在住。

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