お笑いコンビのダイアン 先輩の千鳥を追い全国区へ

約1年半前まで、大阪を拠点に活動していたダイアンの動きが慌ただしくなってきた。昨年4月に「第53回上方漫才大賞」の大賞を受賞後、満を持して東京に進出。今年4月には、もともと本名で活動していた西澤裕介が“ユースケ”に改名したことを東京・ルミネtheよしもとで発表し、会場を沸かせた。

ダイアン 左/ユースケ 1977年3月14日生まれ、滋賀県出身。右/津田篤宏、76年5月27日生まれ、滋賀県出身。吉本興業所属

東京進出を決めた理由について、津田篤宏は「40歳を超えて、このまま大阪で終わっていいのかと考えるようになり、一度東京にも挑戦してみたいという気持ちが強くなってきたから」と説明。大阪ではレギュラー番組を何本も抱えての東京進出だったが「これまでも大阪と東京を行き来してきたので、その拠点を変えただけ」(津田)と、大きな迷いはなかったという。

ダイアンに先立って東京に進出し、近年大成功を収めたのが先輩の千鳥だ。大阪時代には、同じステージで切磋琢磨(せっさたくま)してきた。「お二人は東京に出ていってからも芸風など全然変わらなかった。それでも今、仕事が増えているのはすごいことだし、かなり刺激を受けました。千鳥さんがいたから東京に来やすくなったというのはありますね」(津田)、「東京の番組にも僕らをたくさん呼んでくれて、本当にありがたい存在」(ユースケ)と話す。

改名を決めたのも千鳥の冠番組『いろはに千鳥』(テレビ埼玉)でのロケがきっかけだ。ロケ先の占師が西澤の名前に問題があることを指摘し、新たに提案したのが「ユースケ」だった。そのときの心境について「最初は“ナシ”かなと思いましたけど、素直に従うことにしました(笑)」(ユースケ)、「僕は賛成でした。ちょっと空気を変えるというか、改名することで今までと違うことができるかもしれないという期待もありました」(津田)と語った。

コンビ結成は2000年。中学の同級生で、ユースケは短大、津田は専門学校を卒業後に再び会うようになり、共にお笑い好きだったことから、NSC(吉本総合芸能学院)を経てデビューした。

同期は、アイドル的な人気があったキングコングやNON STYLE。活動するなかで、一度は解散の危機もあったという。「05年ごろ、周りの芸人はテレビなどの仕事も増えてきたのに、自分たちは劇場だけという状態が続いていたんです。焦りもあって、秋口に『来年の3月までやってみてダメだったら解散しよう』という話になりました」

「その後、3月になっても思っていたような結果は出ていなかったんですが、そんな約束をしたこと自体を2人とも忘れていて。1年後ぐらいに思い出して、今に至るという(笑)」(ユースケ)

転機が訪れたのは07年。『M―1グランプリ』の決勝に進出したことで知名度が高まり、大阪のバラエティー番組への出演やライブの動員が増えていった。「劇場に僕らを見に来てくれるお客さんが増えたので、やっぱり『M―1』が一番の転機だったと思います」(津田)。

最近は東京制作のバラエティー番組でも目にする機会が増えてきた。上り調子が続くなか、当面の目標は「東京でレギュラー番組が欲しい」と津田。「ロケができたら最高ですが、どんな番組でも。レギュラーが1本決まればグッと変わると思う」と力を込めた。レギュラー獲得に向けて、2人は「トーク、ロケ、ネタ、すべてをレベルアップする」(ユースケ)、「今まで以上にガンガン前に出ていきたい」(津田)と意気込みを見せる。

実力も気合も十分な2人だけに、全国区での飛躍に期待したい。

(日経エンタテインメント!10月号の記事を再構成 文/遠藤敏文 写真/中村嘉昭)

[日経MJ2019年10月4日付]

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