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井上芳雄 エンタメ通信

俳優人生の転機 小林多喜二の役への思い(井上芳雄) 第53回

日経エンタテインメント!

2019/10/5

井上芳雄です。10月は6~27日まで東京の天王洲 銀河劇場で『組曲虐殺』というお芝居に出ます。井上ひさしさんの遺作となった戯曲で、『蟹工船(かにこうせん)』で知られる作家、小林多喜二の生涯を描いた音楽劇です。10年前に初演して以来、多喜二を演じるのは今回で3回目。僕にとって、俳優人生の大きな転機となった作品です。

『組曲虐殺』は10月6~27日、天王洲 銀河劇場で上演。その後、福岡、大阪、松本、富山、名古屋で公演。舞台写真は2012年公演での小林多喜二役の井上芳雄(撮影:渡部孝弘) 

タイトルがショッキングなので、どんな怖い話かと思われがちなのですが、実は残酷な場面はほとんどありません。多喜二と、彼を愛した人や支えた人、そして影響を受けて変わった人たちとの心の交流を中心に描いた話です。

昭和の初め。幼い頃から貧しい人々が苦しむ姿を見てきた多喜二は、言葉の力で社会を変えようと思い立ち、プロレタリア文学(労働者階級の立場から社会主義思想に基づいて現実を描く文学)の旗手となります。そのうちに、特高警察に目をつけられ、ひどい検閲を受けたり、治安維持法違反で逮捕されたりします。言論統制が厳しくなっていくなかでも、決して信念を曲げず、潜伏先を変えながら執筆を続けるのですが、最後は特高による拷問を受けて、29歳の若さで亡くなる。その最後の2年9カ月を描いています。

初演のとき、僕は31歳でしたから、多喜二と同年代。井上さんが書く戯曲はその前からとても好きで、出させていただいたのは2作目。主役をやらせていただき光栄でしたが、当時の僕には、背負わなければいけないものがとても大きな作品と役でした。

まず多喜二のことも、プロレタリア作家のことも全然知らなかった。昭和の時代に言論統制や拷問のようなことが実際にあったことも知りませんでした。そんなひどい目にあっても、なぜ多喜二は意志を貫けたのか。彼は貧しい人たちを救いたい、社会をもっとよくしたいという思いが、異様なくらい強かったのです。弾圧を受けて、普通の人なら心が折れたりするでしょうが、決してあきらめなかった。その強さとは、何なんだろうか。そういうことを、ひとつひとつ勉強したり、深く考えたりしながら、取り組んだ役でした。

だからこそ、今振り返ってみると、自分が演劇をやる意味に気づかせてくれた作品となりました。多喜二のように、歴史の中で思いを貫いて死んでいった人や、その時代のことを、次の世代に伝えなければいけない。演劇にはそれができる力がある。それには、自分の芝居がうまかろうが下手だろうが、とにかく体全体でぶつかって、その役に近づくしかない。そういうことを学びました。そして、もっとやっていきたいとも思いました。

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