会社の寿命は20年余り もしもに備えるキャリア形成『会社の終活』福谷尚久氏

晴れた日にも荒天への備えを忘れずに。画像はイメージ=PIXTA
晴れた日にも荒天への備えを忘れずに。画像はイメージ=PIXTA

ヤフーのZOZO子会社化、メルカリの鹿島アントラーズ運営会社買収など、今年も多くのM&A(合併・買収)案件が話題を集めた。先のシャープでも分かる通り、どんな大企業、長寿企業でも今や「対岸の火事とは言えない」と、30年以上にわたってM&Aに携わってきたPwCアドバイザリー合同会社の福谷尚久パートナーはみる。『会社の終活』(中央経済社)を書いた福谷氏に、事業承継やM&Aを見越したキャリアづくりを聞いた。

M&Aなら実質的な転職のケースも

「会社の寿命は30年」と『日経ビジネス』が主張して世に衝撃を与えたのは1983年のことだ。その後、さらに縮む傾向にあるようだ。2017年に倒産した企業の平均寿命は23.5歳(東京商工リサーチ調べ)といわれる。「企業が長く競争力を保つうえで、M&Aは当たり前の選択肢になってきた」(福谷氏)。一方、70歳定年時代を視野に入れる格好で、働く現役期間は延びる流れにある。

日本でも転職が珍しくなくなってきたが、勤め先がM&Aに踏み切ると結果的に社名や業態が変わり、実質的な転職となるケースもあり得る。かつてはスタンダードだった、新卒で入社して定年まで勤め上げるという働き方モデルは必ずしも「成功法則」とはいえなくなりつつある。福谷氏自身が何度も勤め先を変えてきたマルチ転職者だ。

国際基督教大学(ICU)の教養学部を卒業後、米オハイオ州立大学大学院へ留学・卒業。この間にニューヨークで国際連合に勤務した。以後は金融畑でキャリアを重ねる。振り出しは1987年に入社した旧三井銀行(現・三井住友銀行)。米コロンビア大学でMBA(経営学修士)を取得し、旧さくら銀行(同)への移行を経験。2001年には大和証券SMBC(シンガポール)に移った。

安定した大手金融機関を離れ、05年には専門性の高いブティック型のM&Aアドバイザーとして日本での草分けとなったGCAに飛び込んだ。中国やインドの現地法人を歴任。さらに15年からPwCアドバイザリーに籍を移した。「日本ではまだ『乗っ取り』というネガティブイメージの強かった時代から、一貫してM&Aの現場に携わり続けた」。それだけにプロであることへのこだわりは強い。

金融ビジネスの栄枯盛衰を見届けてきた。旧三井銀に入った87年は、バブル景気が勢いづいていた時期に重なる。「当時は20ほどもあった都市銀行・長信銀が今ではメガバンク3行にまで減った。最も安定していると思われていた銀行業界ですら、平成の30年間を生き残ったところは多くない」と波乱が続いた銀行業界を振り返る。

一貫して専門分野にこだわり

職種の面でも移り変わりが大きかった時代だ。企業向け融資やプロジェクトファイナンスなどかつては花形だった部署も、低金利や地価下落のあおりを受ける形で、脚光を浴びにくくなっていった。一方、「M&A」という言葉がまだ一般的ではなかった時代には、銀行で専門部署がなく、「傍流」の扱いだった。別の部署に誘ってくれる声も掛かったが、日の当たらない時代から一貫してM&A畑にとどまり続けた。「M&Aの仕事が好きで、それは今も変わらない」という。

内外で大小の金融機関を渡り歩き、オンリーワンのキャリアを築き上げた。昔の同僚からは「お前はいいよな」とうらやましがられることもある。だが、その孤峰は節目ごとに自らリスクを取ってきた結果だ。M&Aに魅力を感じて、ほかの分野に浮気せず、地道にスキルと経験を積み上げていった。今では1000億円規模の案件が珍しくないが、当時は事業承継の中小企業案件が大半。でも、きっちり向き合って細部まで仕上げてきたから、「今の自分がある」。規模が違ってもM&A業務の根っこは同じだと、福谷氏はいう。

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