二番煎じは恥じゃない 僕の成功法則は「改良者」流
カルビー元会長 松本晃氏
松本晃氏
プロ経営者の松本晃氏は、伊藤忠商事時代に医療関連の子会社センチュリーメディカルへの出向を命じられ、6年間取締役営業本部長を務めました。その間、不採算部門に大ナタを振るうなど事業の見直しを大胆に進め、大赤字だった同社の再建に成功しました。松本流成功の法則は、そのころから徐々に形となってきたそうです。(前回の記事は「『潰せ』といわれ子会社へ 出向で得たキャリアの転機」)
赤字招いた「無責任仕入れ」
前回もお話ししましたが、伊藤忠商事からセンチュリーメディカルに出向したのは1986年です。当時の事業の柱は2つありました。1つは商社の金融機能を使った病院の建設、もう1つは医療機器の輸入販売です。病院建設事業の方は赤字の元凶だったので、すぐにやめました。
医療機器の方も問題が多かった。最大の問題は、扱っている機械が売れそうにないものばかりだったことです。医療機器にそれほど詳しくない伊藤忠の社員が米国で見つけた機械を輸入し、「あとはお前らが売ってこい」という態度で責任を押し付けるような形になっていました。これが不振の1つの原因でした。
僕も最初は、医療機器については素人でした。しかし、しばらく見ているうちにいろいろわかってきた。医療機器は、比較的単価の大きい設備機械と小さな消耗品とに分かれます。当時輸入していたのは、もっぱら見栄えのよい設備機械でした。
ところが、大きな機械は実に始末が悪い。まず、買い手は予算を計上しないといけないから契約までが大変なんです。時間がかかるし、たいてい値引きを要求される。思ったほどもうからないんです。売った後もメンテナンスが必要で、経費がさらにかかる。売れないし、もうからないからやめようということで、しばらくして全てやめました。