63年、64年と立て続けに来日したとき、人気テレビ番組「スター千一夜」と「夢であいましょう」に出演しました。「夢であいましょう」で共演した黒柳徹子はその時の様子をこう語っています。

■映画宣伝で来日した時も地味な紺のスーツ

「アラン・ドロンさんは、実に地味な紺色のスーツに、細い紺のネクタイで、スタジオに現れた。」(黒柳徹子著「マイ・フレンズ」)

番組は対談でもお義理の顔出しでもなく、アラン・ドロンが黒柳徹子を口説くという、1つのストーリーを演じる役柄として出演しました。

「アラン・ドロンさんから見れば、全く見たこともない無名の私たちと、テレビで寸劇(スケッチ)をやるわけだった。それなのに絶対に気を抜かなかった。あれだけの大スターが、ただの一度も、馬鹿にした風な態度も、また、くたびれた様子もなくやる、という事に、私は胸を打たれた。」(同)

こんな内容の「夢であいましょう」に出演するときまでも、なぜ彼は濃紺のスーツに濃紺のネクタイという服装にこだわり続けていたのでしょうか。

1965年家族と一緒の姿。オーソドックスでトラディショナルなスーツ姿が似合う=AP

60年代のはじめ頃、アラン・ドロンは常に、もう1人の有名なフランス俳優、ジャンポール・ベルモンドと比較されました。かたや美男俳優、かたや演技派俳優です。フランス国内での人気は到底、演技派のジャンポール・ベルモンドに及ぶものではありませんでした。

そこで一時期、アラン・ドロンはフランスを去ってハリウッドに活動拠点を移し、「演技派」としての大成を目指しました。しかし、これも大成功とはいかず、再びフランスへと舞い戻ることになりました。そこで背水の陣で撮った映画が「危険がいっぱい」(64年)でした。当時の来日は、この作品の宣伝のためでもあったのです。何が何でもヒットさせたかったと考えると、日本のテレビ番組での真剣さにも合点がいくでしょう。

本来、濃紺とは、そのような真剣で惑いのない精神を表現する「真摯な色」として人々に受け止められてきました。ただ静かに自分を見つめ直すときに身にまとう、つつましくも厳かな色なのです。では、なぜ濃紺はそのような精神性を帯びることになったのでしょうか。

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