緊張感持ち生きる 三菱ケミカルHD小林会長の健康法

「哲人経営者」と呼ばれることもある小林喜光・三菱ケミカルホールディングス会長
「哲人経営者」と呼ばれることもある小林喜光・三菱ケミカルホールディングス会長

人生100年時代を目指す日本。働き方も大きく変わろうとしている。現在、第一線で元気に生き生きと働き、人生を切り開いてきた「ウェルエイジング」な人々は働き方や生き方の参考になる。「人生100年時代の歩き方」では、そうした先達の仕事や人生への姿勢や考え方を紹介する。第1回は三菱ケミカルホールディングス会長の小林喜光氏。「緊張感を持って必死に生きることが健康法」と語る。

■ゲバ棒避けてイスラエル留学

「人生は退屈なもの。僕は暇が嫌いなので、忙しい方が充実している。しかも、へそ曲がりなので、危うい時のほうが心が騒ぐんだよ」と小林氏は笑う。

小林氏は2007年に三菱ケミカル社長に就任。積極的な企業買収を進める一方、大規模な事業撤退を実行。さらに事業を通じて環境・社会課題の解決、地球の持続可能な発展に取り組むことを主張する「KAITEKI」のコンセプトを掲げるなど、広い視野を持って経営に取り組んだ。

その行動力に社外からも声がかかり、東日本大震災後の12年に東京電力の社外取締役に就く。15年に三菱ケミカルホールディングス会長に就任すると、経済同友会代表幹事、会計不祥事の起こった東芝の社外取締役にそれぞれ就任した。周囲の人からなぜ火中の栗を拾うのかと問われるが、「頼まれたら断れない性格だから」と笑う。

すでに72歳だが、なお生き急いで見える小林氏。だがその人生はエリートビジネスマンとはほど遠く、研究者の道から28歳で三菱化成工業(当時)に転じるなど、回り道の方が長かった。

最初の人生の転機はイスラエル留学だ。東京大学4年生のとき、東大安田講堂事件が起こった。サルトルなど実存主義者の哲学書を読みあさり、「人は何のために生きるのか」と素朴な疑問を感じていたが、何百人の学生が徒党を組み「ゲバ棒」で暴れたところで解が見つかるとは思えなかった。そんな時、「日本人とユダヤ人」(イザヤ・ベンダサン著)に心を奪われた。流浪の民と呼ばれたユダヤ人は、天才的な人材を輩出し、世界の歴史に大きな足跡を残した。物理学者のアインシュタイン、精神分析学を創始したフロイト、思想家のマルクスもそうだ。

次のページ
生か死かを日々問われるユダヤ人、事なかれ主義の日本人