武蔵、息づく学問の伝統 新校長が描く「進化」の道武蔵高校中学(上) 教育ジャーナリスト・おおたとしまさ

大学在学中、さまざまなボランティア活動に参加し、貧しい地域を支援した。その経験を通して「マスコミで大勢に向けて発信するより、目の前のひとの力になりたい」との思いが強まり、東大後期課程では教育学部を選択した。「先生」になろうと思ったのだ。

教育実習で4年ぶりに母校に戻ったとき、江古田の街で晩飯をごちそうになりながら、担当教員からこう言われた。「教師になりたいのか。とんでもねぇな。教師になりたいなんてやつにろくなやつはいねーよ」。

杉山さんは自分の見てきた社会の問題を必死に訴えた。それは認めてもらえた。でも一方でこうも言われた。「杉山、おまえ、学問やってるか?」。真意がつかめなかった。

門の向こうに緑豊かな敷地が広がる

怪訝(けげん)な顔をしていると「おまえ、『ファーブル昆虫記』読んだか? 『論語』を読んだか? 毛沢東の『実践論・矛盾論』を読んだか?」と畳みかけられた。分野の偏りなく、幅広く学問しているかと問う意図だったのだろう。どれも一応読んではいたが、そう聞かれると大学で学問をしたと言い切る自信がなかった。

教員になるのを先送りし、大学院に進む道を選んだ。「つまり武蔵の教育実習に来ていなかったら、大学院には進まず、そのまま教員になっていた可能性が高かったんです」

大学院で2年間たっぷり学問を経験し、のちに教育学の大家となっていく人たちと共に学んだ。武蔵に戻ろうとはつゆほども思わず、当時住んでいた埼玉県の教員採用試験を受けた。

「そこで挫折するんです。採用試験には合格したのに、退職者が少なかったこともあり、採用されませんでした。親にも心配されましたね。それで1年間、『臨任』と呼ばれる身分で一生懸命務め、翌年もういちど採用試験を受けてようやく正規雇用されました。そこから35年間、埼玉県で働きました」

社会科の教員として教壇に立ったのが約3分の1。教育委員会や知事部局で教育行政に関わったのが約3分の1。残りは教頭や校長として管理職の立場にあった。浦高の校長を5年間務め、有終の美を飾った……つもりだったが、そこに武蔵からのオファーがあった。

「世の中のリーダーとされる人たちがあまりにも情けないことを言ったりやったりするケースが増えているような気がします。真に信頼され尊敬されるリーダーを育てるために、現状の社会においては、中高一貫教育の果たすべき役割がやはり大きいと考えました。そして何より、母校からの誘いであったこと。これは天命だと感じました」と振り返る。

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