大野範子社長 がん乗り越え「レモン石鹸」から飛躍
レモン石鹸(せっけん)と聞けば、「小学校にあったあの黄色の石鹸!」と思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか。そのレモン石鹸を製造していたのは創業1905年、洗顔石鹸やボディーソープなど化粧品の製造販売を手がけるマックス(大阪府八尾市)。5代目社長である大野範子さんは36歳の時、先代の父親から100年企業の経営を引き継ぎました。その後、5回のがん治療という闘病生活を乗り越えながら、会社を新たなステージに導いてきた道のりをインタビューしました。
体調を崩した父から「社長を代わってほしい」
―― 社長に就任して10年ですが、どのような経緯で会社を継ぐことになったのでしょうか?
大野範子さん(以下、敬称略) マックスは曽祖父が創業者で、祖父、叔父、先代である父とずっと男性が社長でしたし、社内にはいとこもいたので、私が継ぐとはまったく考えていませんでした。もともと私は大学卒業後、大阪にある香料の会社に就職したのですが、3年たって東京への転勤の可能性があって悩んでいた時に、父から「悩むなら、うちに来たらどうか」と。経営陣の一人として役に立てるならと入社して、営業を担当していました。やがて父が体調を崩してしまい、急に私に白羽の矢が立って「1年半後には社長を代わってほしい」と言われました。就任までの1年半はビジネススクールに通って、必死で経営の勉強をしましたね。
―― 断ろうとか、プレッシャーはありませんでしたか?
大野 「やるしかないんだろうな。じゃあどうしよう」という感じでしたね。実は小さい頃から漠然と、社長になりたいとは思っていました。父の一生懸命働く姿がかっこよかったんでしょうね。けど、「お前は女だし、いとこもいるから難しい。自分で働いて自立できるように」とずっと言われていたので、それなら無理かなと思っていました。
―― 先代社長であるお父さんが、大野さんを社長にと考えた理由は?
10年に1度の変化を起こせばよかったが、今は3年に1度に
大野 特に「ここがこうだったから」とは言われていませんし、理由はいくつかあると思うのですが、今は世の中の変化がすごく早いですよね。長く続いている企業なので、堅実経営というのが大きな要素としてありますが、新しいことにもどんどんチャレンジしていかないと変化についていけない。先代もそれぞれの時代に合った新事業は立ち上げていましたが、昔なら30年あったら10年に1つ、だいたい3つの変化を起こせばいいところを、今は3年単位で環境が変わるので、10回の成功を導かないとやっていけない。
企業としてそれだけのトライアンドエラーが必要だと考えた時に、私を社長にという判断になったのだと思います。実際に、私がマックスに入社して、OEM(相手先ブランドによる生産)事業という形で企業とのコラボや大手企業の下請けを始めて、数年間で会社の柱となる事業に成長させたという成功事例があったのも、大きかったかもしれません。
―― オリジナルの商品だけでなく、もっと他企業からの受注を広げようということですね。
大野 もともと父の構想としてあったようです。私が新卒で勤めた香料の会社は企業のオーダーメードをやっていたので、娘にはそのノウハウがあるから引っ張ってくればいいと考えたのではないでしょうか。当時はそんなことは言わなかったですけどね(笑)。大きな企業の仕事を引き受けることで、品質と会社の技術レベルを短期間で上げることができました。
看板商品のレモン石鹸を製造終了した理由
―― 会社のトレードマークでもあったレモン石鹸の製造を終了されたのも、大野さんの決断だったとか。
大野 今だからこそ「レモン石鹸、懐かしい!」と言っていただけますけど、10年前はそうでもなかったというか、売れないし手間はかかるし、丸いのでコロコロ転がるんですよ、作っている時に。工場からは、半分冗談で「いつまで作るんですか?」なんて言われたりしていました(笑)。レモン石鹸のおかげでマックスを認識していただくことも多く、今まで会社を引っ張ってきた看板商品なので感謝はしていますが、時代の変化にそぐわない商品になっていたんですよね。そこで過去にとらわれずに、製造を終了することにしました。
―― レモン石鹸の製造終了の他に、経営にはどのような苦労がありましたか?
大野 それまでマックスを支えていたのはギフトという柱で、お中元やお歳暮など企業間の贈り物に石鹸やボディーソープがよく使われていました。でも、時代の流れとともに毎年2割ずつ売り上げが下がり、経営状態も悪化していました。真面目にコツコツやっていれば、大きくはもうからないけど安定した事業だからと言われてきたものが、ライフスタイルの変化からみなさんの必需品ではなくなっている。社会に必要とされるにはどう変化していかなければいけないのか、次の100年を支える事業は何か、答えが見つからなくて悶々(もんもん)としていましたね。
闘病を機に会社の使命を考える
―― それを打開したきっかけが、自身の闘病だったそうですね。
大野 今後も必要とされる会社になるにはどうしたらいいか、その核がないと会社の方向性が定まらないと感じていました。悩みながらも社長に就任して半年たった2009年秋に子宮頸(けい)がんが発覚して、子宮を全摘出しました。病気になって今までできていたこともできなくなり、薬の副作用で人前に出られないほど肌も荒れてしまった時に、マックスの今までの商品では解決できなかったんですね。お風呂で体を洗う時にお湯で流すだけで、ヒリヒリと痛くて辛い。
そこで、ふと、病気が治って復帰できたら、真剣に肌と向き合った商品を作ろうと思ったんです。お客様の悩みを解決する商品を作る、それこそが社会から必要とされる会社のあるべき姿だと確信しました。そのためには絶対に病気を治して復帰したい。そこからマックスの新しいチャレンジが始まりました。
マックス代表取締役社長。1973年大阪府生まれ。甲南大学卒業後、香料メーカーでの勤務を経て、1999年にマックスへ入社。約10年間、OEMの新規事業開拓を担う。2009年には、父である先代社長の体調不良によって、急きょ36歳の若さで社長就任するものの、直後に5回のがんの闘病生活に入り、入退院を繰り返す。2013年には完全に治療が終了して職場へ復帰。闘病生活の中で得た進むべき道、「肌の悩みを解決するための商品開発」に注力して、現在の経営基盤を支えるヒット商品を生み出す。その経営手法が評価されて、2018年に経済産業省の「はばたく中小企業・小規模事業者300社」や「地域未来牽引企業」などに選出された。
(取材・文 宇野安紀子、写真 花井智子)
[日経ARIA 2019年6月20日付の掲載記事を基に再構成]
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