社会学者の古市憲寿 小説では「本当の事書ける実感」

“若者の代弁者”的立ち位置で、皮肉たっぷりに社会の本質を突く。情報番組のコメンテーターなど多方面に活躍する、社会学者の古市憲寿だ。2作目の小説『百の夜は跳ねて』が前作に続き、芥川賞にノミネートされた。

古市憲寿 1985年、東京都生まれ、社会学者。慶応大学SFC研究所上席所員。『希望難民ご一行様』(2010年)などで注目されメディアでも活躍。18年に初の小説『平成くん、さようなら』を刊行。芥川賞候補となる。『百の夜は跳ねて』も再び候補に

『百の夜は跳ねて』は、東京を舞台に就職活動に失敗し窓ガラスの清掃員として働く20代の青年と、タワーマンションの高層階で一人暮らしする老女との交流を描く。着想は太宰治の私小説『富嶽百景』だ。

ガラス清掃員には、古市自身がタワーマンションに暮らした経験から興味を持ったそう。「ガラス1枚を隔てて私生活を見られているのに、清掃員の存在がどんどん気にならなくなる。それが幽霊みたいだと思ったんです。死人が当たり前に出る『死が身近な環境』に生死を考える構想が固まっていきました」

「幸せよ」という作中の老女の言葉に対し、「幸せよ、とわざわざ言葉に出してみるくらいには、不安なのだろう」と青年は身につまされる。多様な幸せの形が許容される現代を照射するようでもある。

「『寂しい』『幸せ』の感情はすごく曖昧。一人暮らしの高齢女性は『孤独で寂しい高齢者』と思われがち。でも幸せな時間はあるはずだし、過去を回想することで他者とつながりを感じている人もいるかもしれない」

青年と老女は関わりを重ね、本人たちも預かり知らぬところで影響を及ぼし合う。そして、世間の良い面に気づいていく。無機的な記号だった都会に人の存在や意味が現れ、読み手の心をも温かく包んでくれる。

「たとえば自分が暮らすマンション内に友人がいると、窓の灯りを見て『もう帰宅しているんだな』と光のオンオフでさえ意味を持つ。ちょっとした気づきで、価値が生まれます。新しい視点を手に入れるだけで、見え方が全く変わる瞬間がある。この小説のメッセージは、僕がこれまで書いてきた社会学の本とも近いのかもしれません」と、伏せていた目を真っすぐこちらに向ける。

『百の夜は跳ねて』 非正規雇用で高層ビルの窓拭き清掃員として働く20代の青年・翔太。ある日、ガラスの向こうにいる老婆と目が合う。性別や年齢、境遇を超え、2人が無機的だった都会の街で光を見いだしていく(新潮社/1512円)

古市は東大大学院在学中の25歳で出した『希望難民ご一行様』で注目された。世界一周するピースボートを通して若者と社会を鋭く読み解いた。あえて物語を介在させる理由は何だろうか。

「評論やエッセーは、結論を分かりやすく提示することを意識してきました。社会学の研究は、30人に取材したら30人をサンプルに全体の傾向や特徴を見いだします。でも実際は、1つの物事にはAの側面やBの側面もある。小説は、登場人物の思考の違いや『解釈のゆらぎ』を許容してくれるし、感情の変化も書ける。人の死や病気など、踏み込んで書きづらい題材も創作を混ぜることで『本当のことが書ける実感』もあります」

「表現手段として選択肢が増えましたね」。深く温かく、普遍性のある今作。「他分野で活躍する才能が小説に挑戦」との評価には収まらない。

(日経エンタテインメント!9月号の記事を再構成 文/平山ゆりの 写真/鈴木芳果)

[日経MJ2019年9月20日付]

エンタメ!連載記事一覧