アヘン戦争からデモ隊まで 絵で見る香港200年史

日経ナショナル ジオグラフィック社

1998年5月

返還後初の選挙は、激しい雨にも関わらず高い投票率を記録し、民主主義寄りの候補者が65%の得票率で圧倒的勝利を収めた。だがそれでも、中国支配下に置かれた新たな選挙制度では、民主主義寄りの候補者は議会の多数派を獲得できない仕組みになっていた。

2003年春

重篤な呼吸器ウイルス感染症のSARSが中国と香港で流行した。SARSは、世界中で8096人が感染し、774人の死者を出している。流行が頂点に達した香港では、人々は公共の場を避け、政府は対応の遅れを非難された。

2003年7月

香港基本法23条の国家安全条例案、いわゆる「破壊防止」法案が言論の自由を脅かすとして、その導入に反対した約50万人がデモを行った。条例案はその後破棄されたが、中国が香港の自由を制限しようとしている証として、国際的な非難を浴びた。

2004年4月

中国は、香港の選挙法改正には必ず中国の許可を必要とすると定めた。これによって中央政府は香港での民主化の動きに拒否権を発動する権限を手にしたとみなされ、香港市民の中央政府への期待は地に落ちた。7月には、50万人規模の抗議運動が起こった。

2006年7月

民主化を求めるデモ行進に数万人が参加した。その後、普通選挙、言論の自由の保護、民主的な政治を求めて、毎年7月のデモ行進が定例行事となった。

2014年8月

香港のトップである行政長官の選挙に際して、候補者は中央政府の承認を得なければならないと中国の立法機関が定め、普通選挙を排除した。これにより、さらなる抗議運動「雨傘革命」が巻き起こった。学生はストライキを、市民は大規模なデモ行進を行い、数週間にわたって町の中心部が占拠された。この運動は失敗に終わり、学生だった主導者の多くは逮捕された。だが、香港での民主化への思いが一層強まり、次の選挙では民主主義派の候補者が多く出馬した。

2019年2~3月

香港政府は、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする初の条例改正案を発表した。だが、改正案は中央政府へ反対する声を黙らせようとするために利用される可能性があり、香港の自治権が脅かされるとの批判が噴出した。数百万人が、平和的なデモ行進に参加した。

2019年6月12日

香港の道路を占拠し、議会へ乗り込もうとするなど激しい抗議デモが起こったため、改正案の審議が延期された。警官隊は催涙ガスやスプレー、ゴム弾で騒ぎの鎮圧を試み、80人が負傷した。中国と香港政府は、衝突を「暴動」と呼んだが、デモ隊はこの言葉を取り消すよう要求した。デモ隊は戦略を変更し、政府の建物や新界の遠隔地で予告なしの抗議活動を始めた。

2019年8月

香港各地でデモが行われ、民主化を求める市民と警官が衝突した。デモ隊は空港を占拠し、政府の建物や観光地、ショッピング街で警官隊とにらみ合った。数百人が逮捕され、中国は武力行使をちらつかせている。デモ隊の要求は、逃亡犯条例改正案の撤廃、警官による暴行の捜査、抗議活動を「暴動」と見なさないこと、逮捕された活動家の釈放、そして民主的な自由だ。要求は今もかなえられず、抗議活動は収束の気配を見せていない。

(文 Erin Blakemore、イラスト Adolfo Arranz、訳 ルーバー荒井ハンナ)

[ナショナル ジオグラフィック 2019年9月1日付記事を再構成]

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