ビーガンはベジタリアンよりさらに厳格であると言われているが、食べる当事者がどう考えるかによって規定されるべきもの。中には、ビーガンとして生活しながらジビエは食べてよいと考える人もいるという=pixta

中でも比較的問題になりやすいのは、血液が禁忌の対象(ハラーム)であるということだ。つまり、「血の滴るようなステーキ」というのはNGとなる公算が大きいが、すしでも問題になり得るものがあるという。それはマグロだ。真っ赤なマグロは血を連想させるので、それを避けるムスリムがいるという。ただし、全員ではない。それはムスリム一人ひとりの考え方によるという。

だから、ムスリムには赤身を出さないと決めるのではなく、本人一人ひとりに決めてもらうことが大切なのだ。「こういう人にはこうすればいい」と単純化することが失敗につながるというのは、食以外のバリアフリーについても重要な基本だという。

たとえば、白杖を持った人がレストランに来店したら点字メニューを差し出せばOKということではないという。白杖を持った人でもある程度は見えるという人もいるし、目の不自由な人全員が点字をマスターしているわけでもない。大切なのは、ステレオタイプに陥ることなく、本人の事情と意向をくみ取ることだ。

一人ひとりの判断の重要性は、ベジタリアンやビーガンについても言えるというのは、多様な食習慣に対応した食情報を発信するWebサイト「Vegewel」を運営するフレンバシー(東京・渋谷)代表の播太樹さんだ。播さんは業務や交友からさまざまなベジタリアンと接しているが、驚くべき話を披露してくれた。

「私の友人の一人はビーガンを自認していますが、彼女はジビエは食べるというのです」

通常、ビーガンというのは一切の動物の搾取を認めないという社会運動を推進している人々をいうので、多くのビーガンはその人の主張を認めないだろう。しかし、その人がなぜそう考えるかというと、「彼女の場合、家畜の飼養が環境に悪いのではないかという考え方から、畜産物を利用しないライフスタイルを取っています。しかし、野生動物はそれに当てはまらないというのが彼女の考え方なのです」というのだ。

信条による食の選択も実に多様だと感じさせる逸話だ。播さんはさらに付け加える。「ベジタリアンというのは、限りなく“マイルール”の世界だと見ています。ベジタリアニズムを選択した考え方の背景も、実際の食事の選択のあり方も、一人ひとり全く違うと言っていい」。だからこそ、「ベジタリアンなら野菜だけ出していればいいだろう」といったステレオタイプで勝手な判断は禁物というわけだ。

もう一つ、食物アレルギーについては、アナフィラキシーショックによる死亡を含む重篤な症状が、行政による指導やニュースなどでも知られるようになり、給食、飲食店、食品工業では、かつてよりも注意が払われるようになってきた。しかし、日本語表記だけの場合が多いという問題がある。

また、アレルギーがあっても症状が軽いものについては、少量なら食べているという人もいる。それから考えると、日本人以外にも分かりやすくすることと、本人からの意思表示ができるようにする仕組みも重要だと分かる。

それに対応した例としては、Webサイト「アレルギーっ子旅する情報サイトCAT」が作成している「FOOD ALLERGY CARD」(アレルギーカード)が挙げられる。これは、食物アレルギーを持つ訪日外国人が、自分の食物アレルギーをカードにチェックを入れて示すことができるようにしたものだ。

世界にはさまざまな宗教、信条、あるいは健康上の事情がある。その意味では食のバリアフリーは奥が深い。しかし、取り組みの根本はシンプルだ。つまり、何を使ってどう調理したものかをわかりやすく正確に表示した上で、食べる本人が決められるようにするということだ。

(香雪社 斎藤訓之)

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