学校の先生も向き合って対話してくれた。

大阪星光学院の先生方も、そんな私を全否定することは決してありませんでした。大阪星光学院は校則なども比較的厳しいほうで規律を重んじる学校です。もちろん、何も言われなかったわけではなく、たいがい怒られてばかりいました。でも、その結果として停学になったり退学になったりはしませんでした。

社員と談笑するエボラブルアジアの吉村英毅社長(中)。「大阪星光学院の先輩や同級生には、今も仕事上で力を借りています」と話す

そのかわり、先生方は生徒と向き合って対話してくれる環境でした。学校に行かない日があったり、校則違反もいくつかあったりと、決して褒められた生徒ではなかったのですが、私を小さいながらも一人の人として扱って、向き合ってくださった。この懐の深さは本当にありがたかったです。

高校2年の夏ごろ、自分の成績をみてさすがにこれはまずい、と思いました。なにしろ、東大に入って起業するという目標があります。勉強を始めないと間に合わないと思い、まず染めていた髪を真っ黒に染め直しました。それで、周囲の友達や先生が気づきました。「勉強することにしたんだな」って。

勉強を再開するにも、集団のだいぶ後ろの方からのスタートであることは認識していたので、とにかく誰よりも長時間、誰よりも集中して勉強することにしました。バンドはすっぱり辞めて……というわけではなくて高校3年まで時々参加していましたが、それ以外は週末や休みの日には予備校で缶詰です。朝一番で「カロリーメイト」と飲み物だけ持って自習室に入り、深夜まで勉強しました。

悲壮に聞こえますが、これが楽しかったんです。やらなければいけない全体のうち、どこが足りないか、自分はどこにいるかを把握して勉強を進めていました。そうすると、1つ学んだことが次のことに結びついて、だんだん理解できてくる。面白いなあと思っていました。面白がって受験勉強をしていましたが、それでも東大に合格できたときはほっとしましたね。

目標の東大に入り、長期インターンなどを経験してから起業した。

大阪から東大に進む友達もあまりいなかったので、10くらいのサークルに入って友達を作る一方で、東大の先輩がつくった会社で1年生のころから働かせてもらいました。今で言う長期インターンでしょうね。いつか、自分の会社を作るための勉強だと考えていました。

中学生のときに決めた目標通り、最初に起業したのは2003年、東大3年のときです。Valcomという会社でした。私は阪神タイガースのファンなのですが、Valcomでは阪神タイガースの缶コーヒーを販売するビジネスを手掛けました。翌年からは事業内容を変更して、航空券ビジネスを始めました。