池田理代子さん 「ベルばら」オスカルはなぜ女性に編集委員 小林明

高2で読んだ「マリー・アントワネット」、「ベルサイユのばら」を着想

――学校では優等生だったようですね。

「柏市の公立中学から都立白鴎高校に進みますが、成績はほぼトップだったと思います。高校の頃は小説家になりたくて、ドストエフスキーやトルストイ、ゴーリキーなどロシア文学に熱中しました。特にドストエフスキー作品は短編も含めてほぼ読破しましたね。大好きなのは『カラマーゾフの兄弟』。自分でも連載小説を書いていて、クラスの友人に回覧したり、文学雑誌の懸賞にも応募したり。でも懸賞にはなかなか入選せず、せいぜい選外佳作止まり。『自分には実力がないのかな……』なんて落ち込んだりしていました」

若手漫画家時代の池田理代子さん(20歳代)

「ただ高校時代は色々なことに興味が広がります。ブラスバンドではトランペットを吹いていました。高校からの帰り道、よく立ち寄ったのが上野の映画館や寄席。落語の演目では『いかけ屋』が好きでした。一方でアマチュア無線やラジオ作りにも凝り、無線免許も取得。試験会場が男性ばかりで珍しがられたのを覚えています」

――高2の夏休みに運命の出会いがありましたね。

「ええ、宿題の課題図書でシュテファン・ツヴァイクの『マリー・アントワネット』を読んだんです。史実の厚みや運命に翻弄される王妃の悲劇に心を動かされました。そして『将来は小説なのか、映画なのか、漫画なのかは分からないが、これを必ず作品にしたい』と誓いました。題名の『ベルサイユのばら』もすでにこの時から決めていたんですよ」

70年安保闘争、家出して工員や美人喫茶でバイト

――なぜ東京教育大の哲学科に進んだんですか。

70年安保闘争が吹き荒れた東京教育大時代。民青に所属し、学生集会などに参加していたという

「仕事やお金や企業に結び付く勉強に抵抗感があったし、哲学が一番『純粋な学問』という感じがしたからです。成績が良かったので研究者になろうと思っていました。でも父は女性が大学に進むことに消極的で『浪人はダメ』『公立で』『学費は1年しか出さない』という条件を出されていた。大学では70年安保闘争が吹き荒れ、私も共産党の下部組織の民青に所属し、学生集会などに参加しました。ヘルメットの上から鉄パイプやゲバ棒で頭をたたかれた経験もあります」

「でも大学1年の秋、反体制を叫んでいるのに親のすねをかじり続けているのはおかしいと思い、親に書き置きして家を出ます。知人の家などを転々とした後、小石川に4畳半の部屋を借りてアルバイトで生活費を稼ぎながら学校に通いました。家庭教師のほか、工場のベルトコンベヤーの前でネジを締めたり、旋盤で金属を加工したり、時給がいいので『美人喫茶』で働いたこともあります。黒いワンピースに銀のハイヒールを履き、コーヒーなどを運ぶだけでしたが……。そうこうするうちに、人に会わなくて済むので漫画を描き始めたんです」

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作画もコマ割りも見よう見まね、貸本で修行重ねる
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