「東大めざすなら」に歴史あり

佐野の急逝で、一時廃校の危機に見舞われた開成を立て直したのが高橋是清だ。米国帰りの高橋は当時、東京大学予備門(現在の東大前期課程)で英語を教えていた。その高橋が「東大予備門への入学を目指す生徒に、予備門の教員を招聘(しょうへい)して教授する」という方針を掲げた。今でいえば、東大駒場キャンパスの教員が東大入試突破の手ほどきをするということだ。

工事のために正門は閉鎖されている

これが受けて優秀な人材が集まり、予備門進学の実績も残したことで、共立学校の名は全国に広まった。そのころに門をたたいたのが、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」に登場する海軍軍人の秋山真之であり、俳人の正岡子規である。

しかし、ペルーでの鉱山経営のために高橋が学校を去ると経営は再び傾き、95年には公立化されてしまう。その際、「東京府立共立学校」ではつじつまが合わないということになり、「開成」と改名された。中国の古典『易経』にある「開物成務」(人間性を開拓、啓発し、人としての務めを成すという意味)からとった。

1960年代までの開成は、東大合格者数ランキングでトップ10に入るか入らないかの位置にいたが、70年代に躍進した。大きな要因の一つは、69年の西日暮里駅の開設だ。地下鉄の千代田線が開通し、これと接続するためにJR山手線にも新駅ができた。期せずして駅前の立地を得たわけだ。

そこに2つの「事件」が重なる。1つは、67年に東京都が「学校群制度」を始めたのに伴う都立高校離れ。もう1つは、70年前後に全国で活発になった高校紛争だ。これまで都立の名門、日比谷高校をめざしたような優秀な生徒が中学受験をするようになり、高校紛争の混乱が比較的少なかった開成を選んだのだ。同時に学校は組織のフラット化を進め、東大や難関私大の合格者は増加の道をたどることになった。

母校は大事、だが家庭円満も大事

新校舎の建設事業は、中学校舎と第2グラウンド以外を全面的に建て替える大規模なものだ。当然、莫大な費用がかかるため、学校は卒業生や保護者らに寄付を呼びかけた。それに応えて集まった額は、なんと10億円を超えたという。募集は今も続けており、総額11億円を超える見込みだ。中学・高校への寄付としては、ケタ違いといっていい。各界で活躍するOBの層の厚さを物語る数字だ。

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