人生は60歳から花開く 世界最高齢のアプリ開発者
「世界最高齢のアプリ開発者」として話題を呼んだ若宮正子さん(84)。以前は銀行員だったが、60歳の定年を前にパソコンを購入してITに覚醒。独創的なアプリを次々開発、2017年には米アップルの年次イベント「アップル世界開発者会議(WWDC)」に招待され、ティム・クック最高経営責任者(CEO)から称賛された。国連本部でも講演、政府からもシニアの女性代表の1人として注目されている。ITのエヴァンジェリスト(伝道師)として多忙な日々を過ごす若宮さんにシニアライフをテーマに聞いた。
アップルもマイクロソフトもうならせる
「クックさん、年寄りはね、スマホの画面でうまく指を滑らすことができないのよ」。17年6月のWWDCの開催日の前日、若宮さんはクックCEOに個別に招かれ、自身が開発したアプリ「hinadan」を説明した。ひな祭りに飾るひな壇を正しく配置するパズルゲームだ。通常のゲームアプリは主に若年層が操作することを念頭に設計されるが、hinadanは高齢者が使うことを意図して作られ、「指を滑らすのではなく、タッチするだけ」にした。若宮さんがその話をすると、クックCEOは「ホー」と大きくうなずいた。
若宮さんがうならせた相手はアップル首脳だけではない。マイクロソフト幹部陣も仰天した「エクセルアート」を生み出した。エクセルは世界標準の表計算ソフトだが、「年寄りには数字の羅列ばかりでは面白くない。一方で、手芸や編み物が好きだ。セルの色付けやケイ線の機能を使えば、簡単に面白いデザインがつくれる」とエクセルを使ったアートデザインを考案した。
「私が今着ている、この服のデザインもエクセルでつくった」と話す。うちわのデザインもエクセルで創作。若宮さんは米マクロソフト本社のあるシアトルにも招かれた。高齢者の視点に立った柔軟な発想は米IT企業にも認められ、一躍時の人になった。
「ばあさんになって突然有名人になった。人生は60歳からが楽しい」と笑って話す若宮さん。IT伝道師として多忙な日々を送るが、もともとはお堅い丸の内の元祖OLだった。
1935年生まれの若宮さんが物心ついた頃は戦争の真っただ中。父親は当時としては珍しいサラリーマン、丸の内の会社に勤めていた。高校は名門進学校として名高い東京教育大学付属高校(現在の筑波大学付属高校)に通った。大学進学を考えたが、そこで母親とぶつかった。
若宮さんは「企業に就職して自立したい」という思いが強かったが、母親は「女性は嫁に行くべし」と典型的な明治時代の女性の考え方。実は当時の女性は大学に進学して卒業すると、一般企業にはほとんど門戸が開かれていなかった。そこで一計を案じた若宮さんは高卒として三菱銀行(現在の三菱UFJ銀行)に入行することにした。OLという言葉もなかった時代だが、丸の内の女性銀行員になったわけだ。
パソコンとの出合いは58歳
「昔の銀行の計算はソロバンだし、お札を手で数えるし、江戸時代と変わらない。不器用だから先輩によく怒られた」という。キャリア面では女性が不遇の時代だったが、銀行の本店の企画開発部で活躍し、子会社の副部長にまで昇進した。銀行員として40年、定年近くになると、母親の介護が待っていた。外の世界の人と自由につながりたいと思っていた時、好奇心旺盛な若宮さんの前に現れたのがパソコンだ。
最初の機器を購入したのは58歳の時だった。米マイクロソフトのパソコン用OS「ウィンドウズ95」を発売され、一般にパソコンが普及する直前。外付けのモデムやソフトウエアなどを含めると40万円ぐらいかかった高価な買い物だった。「インターネットが流行る前でしたが、パソコン通信をしてみたかった。退職金ももらえるし、まあいいか」とITの扉を開いた。
しかし、パソコンの初期設定に四苦八苦した。米国生まれのパソコンの説明書は日本語で書かれていても意味不明な専門用語ばかり。パソコン設定から実際に通信するのに3カ月もかかった。この時点で挫折するユーザーも少なくない。若宮さんは「確かに初期設定が大変です。でも設定できて、使い慣れるとどんどん面白くなる」という。パソコンの習熟度を高め、アプリも開発できるようになった。
いまやIT伝道師として引っ張りだこの若宮さん。特に力を入れているのが、地域創生と大人の学び場をつくるプロジェクト「熱中小学校」の先生役だ。元日本IBM常務の堀田一芙さんが仕掛け人となり、15年に地方の廃校などを舞台にスタートした。北海道から九州まで10カ所程度の拠点でイベントを逐次開催、その目玉講師として活躍する。「シアトルで開催されたこともある。先日も宮崎に行ってきたが、多くの人と触れ合えて楽しい」と語る。
昔のエリートは不機嫌老人に
「今は個性の時代。昔のエリートが『不機嫌老人』になる一方で、現役のときは変人扱いだった人が、シニアになって輝いたりする。こんなばあさんも有名になるのだから」と若宮さんは話す。
今後の目標はシニアにとっても利用しやすいIT社会づくりの一役を担うこと。東欧のIT大国エストニアでワークショップを開催した。電子政府の先進国として知られるが、国民は電子決済や国・自治体関連の手続き、詳細な医療記録へのアクセス、そしてインターネット投票など様々なサービスをオンラインで利用することができる。「冬はマイナス20度になる国ですから、高齢者こそが便利。処方箋とかの医療や銀行サービスも1つのサイトで受けられる」という。「5G」時代を迎えれば、病院に通わなくても遠隔医療サービスなどを受けられることが技術的には可能になるが、日本は法的整備や対応が遅れていると指摘する。
若宮さんが今注目しているのはAIスピーカーだ。「シニアの希望の星だと思う。誤解されているが、私もパソコンをパチパチ打てるわけではない。3本指を使ってやっと打っている感じ。AIスピーカーがあれば、寝たきりの人でも音声で冷房をつけたり、消したりの指示ができる」と早速、最新機器を購入した。
IT伝道師として国内外を東奔西走する若宮さん。「正直言ってこんなに体力があると思っていなかった」とほほ笑む。小柄な体に、エクセルアートでデザインしたカラフルな洋服をまとい飛び回っている。
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