2019/9/28

不遇のデビュー時代からの、大逆転。『津軽海峡・冬景色』は自立する女の先駆け

―― 白いエンジェルハットを被って15歳で歌手デビューした当時は、アイドル歌手という位置づけでした。森昌子さん、山口百恵さん、そして石川さんの「3人娘」で売り出していたはずが、いつの間にか、同じ白い帽子を被った桜田淳子さんが起用されて「花の中3トリオ」として大ブームになってしまった。

石川 みんな順番にヒット曲を出して売れて行ったのに、私だけ期待に応えられなくて……。それでも無我夢中で歌い続ける私を見て、作詞家の阿久悠さんと作曲家の三木たかしさんが「この子をどうにかしてあげたい」と思ってくださったんです。それがデビューから5年後、19歳で『津軽海峡・冬景色』の大ヒットにつながりました。しかも石川さゆりを一発屋にしてはならないと、それに続く『能登半島』『暖流』も大ヒット。1977年(昭和52年)はまるで盆と正月がいっぺんにきたみたいな年でした。

石川さんの遍歴がわかる思い出のパネル。白いエンジェルハットを被ってデビューした15歳。ドレスや洋装で歌っていた20代を経て、27歳あたりから着物のイメージが定着。30代、40代と歌い重ねて、現在に至る (写真提供/さゆり音楽舎 協力/Books Under Hotchkiss)

―― 『津軽海峡・冬景色』の女は自分から男性に別れを告げる女性です。当時としてはめずらしかったのではありませんか。 演歌といえば耐え忍ぶ女とか、三歩下がって男についていく女性描かれることが多かったように思います。

石川 自立した女性ですよね。阿久悠先生は「時代のはぎとり」がすごくうまい人。この歌手に合わせて歌を書くというよりも、いまの時代は何が起きているんだろうという感覚をすごく大事にされていました。あの頃、すでにウーマンリブや自立した女性ということが叫ばれていました。阿久さん自身も何かが起きた時に、人の後ろに隠れて助けて、という女の人よりも自分の足で立ちあがろうとする女性が好きだったようです。

結婚や出産を理由に、歌をやめることなど、考えもしなかった

―― 石川さんは結婚、出産後も歌い続けていました。「花の中3トリオ」が結婚と同時に全員引退を選んだのとは対照的です。

石川 歌をやめることなど、考えもしなかった。私は欲張りなので(笑)。

―― 「演歌の石川さゆり」というイメージが定着したのはいつ頃でしたか。

石川 ちょうど『波止場しぐれ』のあたりだから、27歳くらい。子どもを産んで、半年間は開店休業でしたが、そこから復帰して再スタートする時、担当ディレクターが「さゆり、着物を着て歌ってみない?」と勧めてくれたのです。それまでは『津軽海峡・冬景色』もドレスを着て歌っていました。その頃、舞台で歌う先輩たちの着物といえばランドセルみたいなお太鼓をきちっと結んでいる第一正装か、ふくら雀みたいな帯を締めたきらびやかな振り袖が主流でした。自分が着物を着て歌うなら、「この歌の主人公の女はこんな女」とイメージし、その人らしい着物の着方ができたなら、とディレクターに答えたことを覚えています。あの頃、頭の中でイメージしていたのは「すこし愛して、ながく愛して」というウイスキーCMで大原麗子さんが演じていた女性でした。

2019年石川さゆりコンサート初日@アスカル幸手。埼玉を皮切りに、東京、大阪、京都、宮崎、鹿児島と日本全国を横断。移動距離だけでも相当なものだが、さらに昼と夜の2ステージをこなしてしまうタフさには脱帽
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『天城越え』で、ふっきれたもの。どこまでも飛べると