ジャニー喜多川さん、気遣い上手で粋な人 萩本欽一

萩本欽一さんはジャニー喜多川さんと50年越しの親交があった
萩本欽一さんはジャニー喜多川さんと50年越しの親交があった

7月9日に87歳で亡くなったジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんには、芸能界に大きな影響力を持ちながらも決して表舞台に出ない「フィクサー」のイメージがつきまとう。その見立てに異を唱えるのが、50年越しの親交があったコメディアンの萩本欽一さん(78)だ。育てたアイドルの活躍の場を歌からお笑い、舞台へと押し広げ、精力的に夢を追い続けたジャニーさんは、一方でスマートな気遣いにたけた「粋な人」だったと語る。アイドルにも笑いの素養が必要とみれば、デビュー前のSMAPらを萩本さんの下に送り込むなど、学びの姿勢も謙虚だった。「僕たちは技術の物々交換をしたの」と萩本さんは懐かしげに振り返る。

「タッキーを未来のジャニーにしたい」

――最後にお会いしたのは2010年1月、ジャニーさんが演出した帝国劇場での舞台「新春 人生革命」のときだったそうですね。

「森光子さんとタッキー(滝沢秀明さん)が出ている舞台で、ジャニーさんとは昼の部の終演後に久しぶりにお会いしました。夜の部が始まる時間間際まで弁当を食べながらおしゃべりしましたよ。その時ジャニーさんは、タッキーを未来のジャニーにしたい、と熱心に話していました」

「ジャニーさんが舞台の演出について話すのをじーっと聞いていると、ああ、この舞台を通じて、タッキーに大事なものを授けようとしているんだなあ、と感じましたよ。ジャニーさんができなかったことはただ一つ、次のジャニーさんを育てることだったんだ。僕は、もし彼がいなくなったら、彼が積み上げてきた様々な術(すべ)を、いったいだれが引き継ぐんだろう、と考えてしまいました」

「うちの子たちを連れて世界中を回りたい」 夢を語ると全部実現

――SMAPを作ったら次は嵐。歌の次はバラエティーやニュース番組へ。ジャニーさんは時代を代表するアイドルを次々と生み出して、その活躍の場も広げていきました。

「ジャニーさんは同じ場所に居続けない。成功したことをいつも横っちょに置いてしまう人です。テレビっていう、いいお湯につかっていられる場所をせっかくつくったのに、今度は舞台という、まったく別の五右衛門風呂みたいなところに行っちゃうわけ。でもね、最後にお会いしたとき、『ミュージカルみたいな大がかりな舞台を日本でつくりあげて、うちの子たちを連れて世界中を回りたい』って熱く語っていました。正月明けにね、こうやって舞台の夢を延々と話すなんてところが素晴らしい。今も、ジャニーさんは夢を見続けているんじゃないかなあ」

「そのときね、僕が『芸能界はジャニーさんがへこたれるのを待っていますよ。少し手を抜いてくれないと、誰も追い抜けませんよ』って冗談を言ったんです。そしたらニコニコ笑って、『いやあ、たいしたことありませんよ。あたしが何をしたって言うんですか。いつでも抜いてくださいよ』だって。でもね、怖いよ、ジャニーさんは。夢を語ると全部実現するんだもん」

■ありがとうと言わせない 「間」のずらし方が絶妙

――常に裏方に徹する人で、表舞台でスポットライトを浴びることは全くありませんでした。だからいつまでも神秘性を帯びていられたのだと思います。

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