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そんな運命を決めるタイミングで僕が出場し、万が一ゴールを決められなかったら、国民から戦犯扱いされるのではないかという恐怖に包まれました。負けては日本に帰れないと思っていましたし、逃げ出したくなるくらい重圧に押しつぶされそうでした。嫌な汗をかき、生まれて初めて「試合に出たくない」と、サッカーを恨んでしまったぐらいです。

でも、同点のままゴールデンゴール方式の延長戦に入り、岡田監督に「岡野、来い」と呼ばれてしまいました。「入れてこい!」と一言だけ声をかけられ、押し出されるように白線を越えてピッチに入りました。初出場がこんな場面だなんて、「うそだろ……」という状態。あの時の記憶はあまりないのですが、とにかくヒデ(中田英寿元代表選手)がボールを持てば、本能的にピッチを全速で走っていたと思います。尋常でない雰囲気の中、やはり緊張からか僕はゴールを外して、2回もチャンスを逃してしまい、延長戦前半を終えました。

―――シュートを外した罪悪感でさらに落ち込まれたと思います。

岡野 そうですね。でもフィールドを入れ替えるわずかな時間に、肩を落とした僕にチームメートが駆け寄り、「大丈夫だ」「お前のせいじゃない」と励まし、背中をたたいてくれました。重圧と申し訳なさで吐きそうだったのを覚えていますが、あの時、仲間が声をかけてくれなかったら、そのままピッチから逃げてしまったかもしれません。仲間のおかげで「もう一回頑張ってみよう」という思考に短時間で切り替えられました。

「あんな経験、もう二度としたくないですが……」

それでも後半戦もゴールを何度も外してしまって、ボールを追うのをやめてしまいたくなりましたが、そんな気持ちをぐっと抑え、走り続けました。そしてヒデがシュートを打ち、ゴールキーパーが弾いたボールが僕の前に転がってきたのが目に入った瞬間、スライディングしながら右足にボールを当てて悲願のゴールを決めました。

うれしかったです、これで日本に帰れると思った。正直、ワールドカップに出場できることはどうでもよくなっていました。

――それぐらい追い詰められた精神状態だったんですね。

岡野 僕だけでないと思います。試合が終わった控え室では、ビールかけがあってもいいものですが、みんなまるで負けたようにため息をつき、バスの中ではシーンと静まり返っていました。ホテルで迎えてくださった花道を歩いていても「ありがとうございます……」という低めのテンションで、食堂では祝いのシャンパンも飲まず、みんな自分の部屋に戻って行きました。それぐらいホッと安堵したのと、心身ともに疲れ切った状態だったのです。

あんな経験、もう二度としたくないですが、あの経験があったからこそ、今、サッカーチームのGMという立場でどんな仕事をしても緊張しないし、怖いものはなくなりました。

(ライター 高島三幸、カメラマン 厚地健太郎)

【元サッカー日本代表・現ガイナーレ鳥取代表取締役GMに聞く】
上 野人・岡野雅行さんのサッカー人生 高校から逆境続き
岡野雅行さん
1972年生まれ。日本大学中退後、浦和レッドダイヤモンズ入団。日本代表メンバーに選出され、97年のFワールドカップ・フランス大会アジア最終予選で日本を初のW杯出場に導く決勝ゴールを決めた。2013年引退、ガイナーレ鳥取GMに就任。2014年から夏・冬の2回、新戦力獲得のための寄付プロジェクト「野人プロジェクト」を開始。11回目の今回は梨や和牛など11種の御礼品を用意。9月末まで受付中。https://www.gainare.co.jp/special/2019/yajin-project19summer/index/

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